(S/N 20261006 / Studio31, TOKYO)
「人は、人のものになんてならないのよ」
ヘプバーンの熱狂的なファンのイチ子が、映画の中のオードリーと同じ台詞をいつか使ってみたいと言っていたことがある。どの場面のどの台詞かは聞かなかったけれど、もしかして、今のがその台詞?
【The Lovin' Spoonful - She Is Still a Mystery】

(S/N 20261001 / Studio31, TOKYO)
2007年、初夏。鎌倉の朝。海の見える家。
ぼくと水口イチ子の生活を撮り続けてきたフイルム、コダクローム64の製造終了が伝えられ、昨年末の製造ロットが最後となったようだ。
あとは世界中の流通在庫のみ。
それだってフイルムは生鮮品だから、どんなに買い占めても来年の夏には使用期限が来る。
結局、どんなものにも終わりはあるということだ。
窓辺。
「それでフイルムは少しは蓄えたの?」とイチ子。
「いや、買ってない。どんなものでも最期を迎える時に未練がましいのは良くないよ。フイルムは、あと残り一枚。それでホントにオシマイ」
「ふーん、そうなんだぁ。何か記念になるものを撮りたいわね」
浜へ下りる相談をした。
海岸 —— 最後の一枚は、イチ子がシャッターを押した。
【Alan Sorrenti - If You Need Me Now】
(S/N 20260929 / Studio31, TOKYO)
父親に写真の趣味があり、そのせいで、小学生になって間もなくフジペットを買ってもらった。
当初から鮮明な写真を撮るのを目的としたことはなく、クリアに撮れるか撮れないかは飽くまでカメラ側の問題であって、撮影者の技術の領域ではないと考えるようになっていた。その代わり、構図は100%が作家の責任と思うようになっていた。
高価なカメラがキレイに撮れるのは知っていても、それを理由に機材の更新にはほとんど魅力を感じたことはなく、大人になって、自由に使えるお金が増えれば増えるほど、高価なカメラを避ける気持ちは増した。
三十代で初めてライカを手に入れた時、確かにレンズのクリアな抜けに感心したことはあったが、やはりそれは、自分の実力とは別の世界のものだと確信を深めた。ただ、プロの写真家の場合、自分はともかく、お金を出してくれるクライアントがそれを望むなら嫌でも高価なカメラは買わざるを得ない。
(S/N 20260928 / Studio31, TOKYO)
日本で言うプロフェッショナルとは、クライアントから注文がもらえるようになり、他のアルバイト収入を加えず、注文だけで現行のホワイトカラーの初任給(高額な機材を必要とする場合は、その回収経費を加えた額)以上を稼げるようになって初めて正しくそれを名乗れるというもんだ(有名・無名は全く関係ない) —— 生活費の半分以上がアルバイトからのものでは趣味としか言いようがない。
まあ、これは家族を持って、人並みの社会生活を営むというハードルを想定しての話だから、迷惑をかけるような家族がいなければ、長い修行期間があっても相当の無理は利く。
しかし、仮にソコソコ稼げていても、他の一般自由業者同様、加齢と共にいずれ注文は減ってくる。年寄りになっても経済的に見習い修行中と変わらないようでは、半ば夢は果たせていても程なく生活保護者だ —— 余程の遺産相続でもない限り...。
【Beach Boys & Kathy Troccoli - I Can Hear Music】