水曜日から、阪急百貨店で北海道展を開催しています。

 

私も、今日行ってきました。

 

平日なのに、凄い人出。

 

いつでも北海道展は人気がありますね。

 

今日は、「なると」の若鳥半身揚げと、白い恋人と、マルセイのバターサンドを買いました。

 

若鳥半身揚げは、それだけでお腹がいっぱいになります。

 

あまり甘いものは食べない私ですが、白い恋人とマルセイのバターサンドは好きです。

 

人が多くて、ゆっくり見て回らなかったけど、阪急百貨店のサイトで見ていて、興味がそそられるものは幾つかあったので、また行こうと思っています。

 

サツマイモカレーパンとか、ベーコン節とかね。

 

10月7日までやっているそうなので、あと2回くらい行くかも。

 

ただ、人込みの多いところは苦手なので、どうかな 笑

 

 

よい明日を

世の中は、不公平と理不尽で成り立っています。

 

だから、不公平や理不尽を嘆いてもしかたありません。

 

不公平を不公平ではないようにする。

理不尽を理不尽ではないようにする。

 

これ、すべて自分の力でするしかありません。

 

誰かに頼る、人任せでは、たぶん解決することはほとんどないでしょう。

 

なにより、その人の受け取り方によって、不公平とか理不尽になるかならないかも違います。

 

なげくより

じぶんじしんで

かいけつだ

 

なんてね。

 

 

よい明日を

会社も組織も、年数が経つと硬直していく可能性が高いです。

 

事なかれ主義に陥り、改革することを躊躇う。

長年続いているという驕りが、油断を生む。

 

要因はいろいろあるでしょう。

 

その中のひとつに、古くからいる者が幅を利かせる、ということもあります。

 

異業種交流会もそうで、古株が幅を利かせて好き勝手にやっているがために、新しく入ったメンバーがどんどん辞めていくということも多々あります。

 

会社や組織はまだしも、フラットであるはずの交流会でも、そんな人がいるのです。

 

あの人が、ひとつの交流会を退会した理由がそれです。

 

「古くからおるだけで、別に偉くもないのに、俺がルールブックやというツラで、なんでも口を出してくる。あのままおったら、喧嘩になりそうやったからな」

 

そして、その人は会のルールも無視。

 

まあ、どこにでもいますね。

 

こういう人が増えてくると、組織は崩壊します。

 

あの人なら、本当に喧嘩になっていたでしょう。

 

事実、そんな人にも言いたいことを言い、何人からも「ガツンとやったってください」と頼まれていたそう。

 

そんな人達にも嫌気が差したそう。

 

「ガツンとやりたいのやったら、自分でやったらええやろ」

 

言ってきた人には、そう答えていました。

 

まあ、あの人らしい 笑

 

その交流会は、私も退会しました。

 

理由は、あの人と一緒です。

 

今は、あの人も私も、ひとつの交流会だけ。

 

そこは、まだ歴史が浅いので、そんなお局さんみたいな人はいず、フラットを保っています。

 

しかし、これから歴史を重ねてゆくうちに、どう変貌するやら。

 

願わくば、古くからいるから偉いのではなく、古くからいるから、よりどうやったら貢献できるかを考えてほしいものです。

 

実るほど、頭を垂れる稲穂かな。

 

私も、気を付けなくちゃ。

 

ま、そういう人も、貢献したいという思いはあるのでしょうが、初心を忘れているのだと思います。

 

初心忘れるべからず。

 

これも、気を付けなくちゃ。

 

 

よい明日を

非を認めるのは、恥ずかしいことではありません。

 

非を認めないほうが恥ずかしいです。

 

自己防衛本能か、恰好悪いと思っているのか、非を認めない人、結構います。

 

それどころか、逆ギレしたりする。

 

恥ずかしいとか恰好悪いとか通り越して、みっともないですね。

 

多くの人は、素直に謝ったら、それで終わりです。

 

それでも攻撃してくる人は、今後のお付き合いを考えたほうがいいです。

 

自己防衛を測るなら、まずは拳を上げさせないこと。

 

しかし、人間だから失敗もしますし、意思疎通を欠いたりもします。。

 

そうなったときに、振り上げた拳を降ろさせないこと。

 

自分が悪いとわかったら、素直に謝るのが一番です。

 

 

よい明日を

前向きな言葉は、聴いていて好感が持てるし、勇気をもらえます。

 

逆に、後向きな発言は、聴いていて辛い。

 

たとえ、それが真実であってもね。

 

誰それが悪い、政府が悪い。

 

出来る人は、それを語らずに、どうしたらいいか、自分はどうするのかを語ります。

 

愚痴や不平や不満は、言ってみても始まらないことをよくわかっているから。

 

そして、そんな言葉を口にすると、自分を駄目にしてしまうことがわかっているから。

 

あいつはやる気がなくて、困ったもんだ。

いくら教えても覚えようとしない。

 

その言葉には、自分はこれだけ頑張っているのに、自分はこれだけ出来るのに、という思いがあります。

 

そして、そんな言葉を口にする度に、努力するのが嫌になってきます。

 

どうしたらやる気を起こすようになるのか、どうしたら覚えてもらえるのか。

 

そういった言葉を口にすると、もっと自分が努力しなければという気になります。

 

異業種交流会で後ろ向きな発言をする人は、直ぐに退会していきます。

 

そういう人には、お仕事の紹介が出ないからです。

 

みんな、どうすればいいかの相談には乗りますが、愚痴や不平や不満交じりでは、知らないよとなります。

 

それを口に出す人は、信用出来ないとなります。

 

もっと厳しいことを言うと、「嫌やったら、辞めたらいいのに」と、心で思っています。

 

あの人は、本人の前で、はっきりと言ったことがあります 笑

 

飲み会で、何人かの前であまりに部下の不平や不満を漏らす人がいて、みんな辟易していました。

 

とにかく、部下が悪い、なにも覚えようとしない、そのくせ権利だけは主張する。

 

そんな人は、どこの会社にもいます。

 

そういった人をどして育てるかを話している時に、なにをやっても無駄だ、馬鹿だからどうしようもない、そんな人間を雇った会社が悪いと、とある会社の部長さんがまくしたてた。

 

で、あの人がキレた。

 

「そこまで言うんやったら、辞めたらええやん」

 

冷たく言い放ちました。

 

「中途半端な覚悟しかないから、後ろ向きな発言しか出んのやろ」

 

そうも言いました。

 

その人は気分を害して帰っていったけど、残った人たちは同じ思いだったみたいで、口々に可哀想にと言ってました。

 

憂えるのと、愚痴や不平や不満は別物。

 

誰それがで終わってしまうと、ただの愚痴や不平や不満。

 

だから、こうしようと思っているとか、どうしたらいいだろうというのが、憂えるということ。

 

愚痴や不平や不満からは何も生れませんが、憂いは解決策を講じることができます。

 

経営者や個人事業主は、職種はどうであれ、雇用されている側とはまた違った苦労があり、多くの理不尽とも戦っています。

 

それに打ち勝つには、もっと自分を成長させねばとも思っています。

 

だから、成長を妨げるような言葉を発する人とのお付き合いは避ける。

 

人の信用を得たかったら、常に前向きな発言をすること。

 

これ、効果ありますよ。

 

他人にも自分にもね。

 

 

よい明日を