昔は許されていたことでも、今は許されない時代です。

 

あの人の子供の頃は、電車に灰皿が据え付けられており、多くの乗客が平気で煙草を吸っていたそうです。

 

バスや映画館でも、当たり前のように煙草を吸っていたとか。

 

今では到底考えられませんね。

 

「これ、面白いで」

 

そういってあの人に勧められた「怪奇大作戦」という番組。

 

ウルトラセブンの後番組として制作されたそうです。

 

放送日が1968年となっているので、今から約60年近く前。

 

全話ではないですが、多くのお話がYoutubeで観れます。

 

確かに、面白い。

 

60年近くも前に、こんな番組を制作していたんだとびっくりしました。

 

もうひとつびっくりしたのは、子供向け番組なのに、どのお話でも登場人物の多くが、どこでも当たり前のように煙草を吸っているシーンがあること。

 

そして、平気で道端に吸殻を投げ捨てる。

 

本当に、時代は変わったんだと実感しました。

 

この作品は、題名の通りホラー色が強いですが、それを科学で解決するという物語です。

 

現代では荒唐無稽と思われるようなお話もありますが、今でも通用するような内容もあります。

 

中には、本当にぞっとするお話もありました。

 

どうやら、全話アップされているわけではなさそうです。

 

でも、観れなかったのはあと1話。

 

これまで観たお話で好きなのは、「かまいたち」、「散歩する首」、「青い血の女」です。

 

何日かかけて観れるだけ観たので、タイトルと出演者のテロップが流れるときの音楽、そしてエンディングが耳について離れません 笑

 

 

よい明日を

事なかれ主義、こういう人は多いかもしれません。

 

いらぬ波風を立てたくないという理由でしょうが、私に言わせればただただ自己保身としか思えません。

 

重大な局面や、危機的状況に陥ったとき、事なかれ主義では状況の打開は不可能です。

 

ますます自分を窮地に追いやるだけ。

 

そして、困っている人も助けられない。

 

親しい同僚が、理不尽な理由で上司から苛められていても、助けることができない。

 

気が弱い、自己保身の気持ちが強い。

 

それらの人がそういう傾向にあるのでしょうが、それで幸せなのでしょうか。

 

いらぬ波風は立てないほうがいいけど、時には台風に正面きって突っ込んでゆく。

 

そういう勇気と気概が必要です。

 

私の知る限り、事なかれ主義の人で、幸せそうな人を見たことはありません。

 

人から信頼を得ようと思ったら、運を引き寄せたかったら、事なかれ主義ではなく必要なときには立ち向かうことです。

 

もうひとつ、これは私の見解なんですが、事なかれ主義は他人に人生を委ねているのと一緒です。

 

生徒さんには、いつも真っ向から立ち向かえと教えています。

 

そうしてこそ、実りある人生が送れると。

 

 

よい明日を

歳を重ねるにつれ、丸くなる人と頑固になる人。

 

なにが違うのでしょう?

 

私が思うに、視野と柔軟性。

 

視野が広く、柔軟性を持った人が前者。

視野が狭く、柔軟性のない人が後者。

 

それだけではないでしょうが、この二つは大きく関係していると思います。

 

あとは、今が幸せかどうかでしょうね。

 

今が幸せなら昔を持ち出すこともないし、人にも優しくなれる。

 

どういう歳の重ね方をするかは、その人次第。

 

いい歳の重ね方をしたいものです。

 

 

よい明日を

「生きるって、なんだと思う?」

 

「どうしたん、急に?」

 

「先日、生徒さんに訊かれたの。毎日仕事に追われて疲れていて、湯船に浸かっていたときに、ふと自分はなんのために生きてるんだろう、生きるってなんだろうと思ったらしいのよ」

 

「現実こうやって生きてるんやから、考えたってしかたないやろ」

 

「そうなんだけどね、あまりに辛いとそう考える人も多いのよ」

 

「そんなもんか」

 

「あなたは、最初の会社で毎月400時間以上も働いてたんでしょ、残業代もつかずに。そのときにそんなこと考えなかったの?」

 

「考えんかったな。ただやらなあかんことがあるからやってただけや、それと意地でな」

 

「あなたは特別なのよ」

 

「そうかな」

 

「そうよ」

 

「しかしな、なにをどう考えたって、現実からは逃げれんのや。そんなことを考えるより、この状況をどう打開しようとか、どう楽しもうとか考えたほうがええやろ。どうせいつかは死ぬんやし、生きてる間はどんな状況でも楽しまんとな」

 

言葉通り、70近くもなって働かないと食べていけない状況で、あの人は人生を楽しんでいます。

 

私が思うに、家でもなんでも、命以外はいざとなったら捨てる覚悟があるからじゃないかな。

 

それと、小さなことにも喜びと幸せを感じている。

 

生きている意味を考えるより、現実的に生きているんだと思うほうがいいのかもしれません。

 

と言いながら、あの人は真剣に生きている意味を考えているのだと思います。

 

だから、いつも前向きな姿勢を崩さない。

 

私は、そう見ています。

 

 

よい明日を

優しさと優柔不断は違います。

 

「なにが食べたい?」

「なんでもいいよ」

「どこへ行きたい?」

「どこでもいいよ」

 

これは相手を気遣う優しさではありません。

 

自分は決定せずに相手にすべてを委ね、そしてなにかあったら「君が選んだんだろ」と責任を押し付ける。

 

あるいは、「俺、本当はこんなもの食べたくなかった」、「こんなところへ来たくなかった」と、文句を言う。

 

あの人とのランチのお店選びは幾つかパターンがあります。

 

「なにが食べたい?」

「中華かな」

「行きたい店は?」

「どこでもいい」

「わかった、ランチのあとの予定は?」

と、私の次の予定に合わせて場所を選んでくれる。

 

「なにが食べたい?」

「君は、なにが食べたいの?」

「まかせる」

「わかった」

と、私の好みそうな店を選んでくれる。

 

「ちょっと美味しそうな中華屋見つけたんやけど、どう?」

「う~ん、今日は洋食の気分かな」

「わかった、中華は気が向いたときに行こう」

と、私の好きな洋食屋さんを選んでくれる。

 

相手に委ねるというより、私の意見を尊重し、おまかせと言った時には適当な店を選んでくれる。

 

「ここ、いまいちだったね」

「そうやな、リストから外しておこう」

 

私がはっきりと言っても怒らずに、その対応。

 

私が思う優しさとは、こういうことです。

 

こう書いて思ったんだけど、私ってなんて我儘。

 

ま、あの人に甘えるのが私の趣味なので良しとしよう 笑

 

さて、前置きが長くなりましたが、本題はここから。

 

「昨日、彼女に振られました。理由は優柔不断だからだそうです。あんなに優しくしてたのに」

 

今日、生徒さんから相談がありました。

 

詳しく話を聞いてみると、彼女の意見を尊重してはいたみたいですが、まかせると言われたときにいつも決めきれなかったそうです。

 

「なんで?」

「だって、彼女が気に入らなかったらどうしようと思って」

「まかせると言われたんでしょ」

「そう言われても、俺の責任になるのは嫌だし」

 

この一言がすべてを語っていますね。

 

あの人のように、リストから外しておこうと言えば済むこと。

 

一見、相手のことを考えているようで、実は自分のことしか考えていない。

 

なにかあったときの責任を持ちたくない。

たんに恰好をつけたい。

 

優柔不断とは、そういう気持ちからきています。

 

自分の食べるものにも悩む人がいますが、とりあえず今日はこれを食べて、気になったあれは今度食べようと割り切ればいいと思うのですが。

 

私とあの人は、メニューを見ながら悩むことがほとんどありません。

 

「今日は、これを食べよう」

「これも美味そうやけど、次回の楽しみやな」

「これは失敗したね」

「そうやな、次から外せるな」

 

こんな感じです。

 

こうやって、本当の選択肢が増えていきます。

 

 

よい明日を