お旅まつり  | バーテンダーは心の名医

お旅まつり 

 先生は小松市出身ですが、お旅まつり と食の思い出 で一席語ってくださ

 い。

    (小松市民)

 丸の内中学校を卒業している。

 お旅まつりは三代前田家藩主利常が小松城に隠居した折、人々の平穏と繁栄と前田家の命運を祈願して菟橋神社と日吉神社の氏子の住む町を渡御(旅するように)して回ったことに起因している。

私たちの中学は丸の内の名が示す通り市の中心にあって、市役所があって、裁判所があって、警察署があって、図書館があって、小松市内にある最大の企業小松精練があり、小倉織物、今村織物、マルハン織物があり、江口組があり、丸西組があり、小松高校があるという菟橋(うはし)神社の氏子町であった。

 菟橋神社参道には日本海側最大級の屋台が並び、見世物小屋が立ち、立ち売り商人、啖呵売人、叩き売り、時に勧進相撲が行われ、子供歌舞伎が演じられていた。

 この屋台が並ぶ参道の屋台街から数軒離れた場所に 任田屋さん といううどん屋さんがあった。 ここは石川県史に残ろうかというほどの絶品のラーメンを提供していた。その頃、小松と言えば鮨 米八(現小松弥助さんが握っていた)、小六庵(料理屋)、丸屋楼(料理屋)、一浪(料理屋)、一山楼(料亭)、南月(料理屋)中佐(うどん屋)、長沖(料理屋)が全国に名を馳せていた。

 お旅祭りの日はお小遣いをもらい 『任田屋』 でラーメンを食べるのが唯一無

二の愉しみだった。お旅まつりは任田屋のラーメンがなくては祭りではないと今でも断言できる。

 二十歳時分になって、お昼に中華そば(ラーメン)をとって、ビールを飲むのが

無常に素敵なことだと知った。これぞ、本物の酒の飲み方だと思えた。

 あたりを見渡すと、サラリーマンの方も、公務員の方も、作業服の方もビールとラーメンとライスという、正統な大人の客がいて、ああ、幸せな国だなあと思えた。

 毎年のお旅まつりは 任田屋のラーメンとビールが楽しみだったのに、任田屋さんは廃業してしまった。

 もう一度、あの任田屋さんのラーメンのスープでビールを飲ませろよ。

小松よ、変わるな。