バーが果たしてきた役割りとは
問
先生 バーの果たしてきた役割りをお教えください。
(オーセンテックバー経営)
答
バーテンダーを志したのは高専二年の17歳からである。18歳の夏休みに銀座
クールに飲みに行った。お客様でお越しになられたホテル椿山荘の方にバー
テンダーを目指すなら行っておくべきだと聞いていたからだ。
10月に東京オリンピックが始まるとかで、銀座は騒然と華やかだった。
5時に訪れたのですが窓側に一人、真ん中に一人と二人のお客さまが立って
いた。クールはスタンデング・バーで椅子はなかった。窓側のお客様は見たこ
とがあった。俳優の森雅之だった。父は小説家の有島武郎。すぐわかった。た
だでさえ緊張しているのに森雅之がいて緊張は頂点に達していた。当時映画
会社はすべて銀座に会社があって、森雅之は開店前にクールの窓際に来る
のが日課であったそうだ。もう一人は作家の戸板康二先生だった。後でバー
テンダーの古川さんから 『銀座百点』を頂いて、戸板さんを知った。
私はまだ未成年で酒を飲んではいけない年齢だったが、石川県からきたバー
テンの見習いをしているもので、お客様の藤田興行の経営される椿山荘の方
にお話を聞き訪ねてきましたと告げると、戸板さんがクールさんは小学校から
お酒のことを勉強されて来た方だと話された。そして、これは私からだとブラッ
ク&ホワイトを一杯ごちそうになった。ちびちび飲んでいると、森雅之さんから
も一杯頂いた。森さんもいつもブラック&ホワイトが常酒でブラック&ホワイト
をストレートで頂いた。(その頃輸入洋酒はまだ解禁前でとんでもない高値の
酒だった。海外渡航が許された年で、洋酒が三本迄持って帰れた時代になっ
たとこだった)
ウイスキー旨さは、それまで飲んできたものとは隔世の感だった。人生がぐ
んと広がっていく気がした。なにしろまだ誰も飲んだことのない本物のウイスキ
ーだ。 感動した。
それもそれもさることながら
「バーの役わりは ジェントルマンを育てるところだよ」
とおっしゃられたお二人の言葉が頭の頂点に稲妻を位置込んでくれた。
私は、今もこの言葉を胸に叩きこんで 店に立っている。