酒場の歴史 | バーテンダーは心の名医

酒場の歴史

 師匠の識られる酒場の歴史をかいつまんで解説してください。

      (食品卸)

 昭和20年8月15日日本国敗戦、日本中がガサだった。

 飲食店はなく闇市(不正販売所)時代が昭和24年に飲食店営業がはじめて許

 可された。屋台乱立時代の始まりである。屋台は土地の地まわりがしきり、縄

 張り争いの抗争が相次いだ。当然ながら闇酒が横行して反吐を吐く人が多か

 った。そこで規制が入って二級酒、一級酒、特級というがいわば三増酒(三倍

 酒)で頭がぴんぴんうずいて、直ぐに二日酔いになった。汽車(現在の電車)は

 三等車、二等車、一等車、と別れていた。蒸気機関車が廃止されたのは高校

 三年の時である。まだガラスの一合瓶なんてものはなく鉄道旅を楽しむときは

 一升瓶だった。ですから、あっちこっちが宴会場になっているという塩梅で、リ

 ラックスしてステテコ姿になって飲む人もいた。駅前食堂で素うどんでコップ酒

 を呑んでる人を見かけると早く大人になりたいものだと思った。たしか素うどん

 は25円だったと思う。そのころの日本は敗戦国で夜は、戦争未亡人、引き揚

 げ者、不良少年、不良少女、家出少年、家出少女の巣窟で、渋谷、鎌田、池

 袋、新宿、上野浅草寺裏辺りは近づけないところだった。アルサロ、キャバレ

 ー、赤線、青線。なんでもありで、何やさんなのかさっぱりわからなかった。バ

 ーはその当時女給さんのいるところで随分と肩身の狭い思いをしたものだ。

 高2からおばさんの家の洋食屋を手伝いハイボールをつくっていた。一番ハイ

 カラな飲み物と言えば、、米軍基地開基記念日フレンドシップディーでおじさん

 が買ってきたコークハイボールだった。ハイボールは40円で、コークハイボー

 ルは60円だったと記憶する。

 その頃になって、トリスバーという男っぽい粋なバーが誕生したことを知った。

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