11歳年下のロッカーからプロポーズされた角田さんと握手を交わしてから24時間以上が経過し、平常心を取り戻しました。このご利益は後々の人生においてあるのでしょうか? うふふ
私も10歳以上年下の彼氏が欲しい~(←既婚者のオバサンですから~、残念!)
さて、角田さんの作品に関して、ふと思ったことがあります。
角田さんは正直なところ、強烈に発狂するぐらいの角田さんファンっていう絶対数がむしろ少ないんじゃないか、という分析。でも、彼女をもう大嫌いっ、ていう人の絶対数も少ない気がします。
いいことだと思いますが、有名人としてはあまりいいことではない気もちょっとだけします(ごめんなさい、角田さんは作家なのに)。
書籍の売上が高ければ結果としてそれでよいのかもしれませんが、こう、なにか、心が渇くように求めてしまうのは、私の場合は辻仁成さんだったり、主人の場合は村上春樹だったりします。辻さんは、嫌われる人からは、すごく嫌われるような気がしています。
そして、熱狂的なファンは、世界中どこでも追っかけをするぐらいに辻さんを愛しています。東京の知人は、去年パリまで辻さんのライブを観に行きましたからね すげっ 主婦で子持ちなのに。
恋愛、友情といったプライベートな人間関係でも、この現象ってあると思います。まあ、職場の人間関係は結婚と同じく付き合いが長くなるので、むしろ無味無臭に近いほうが楽でいい気もしてくるのですが。恋愛って、なんだか強烈なインパクトが欲しいよなぁ~、と感じます。恋愛だと、私はいつでもどうしようもない人が好きです。
かつてのボーイフレンドが書いてきた10枚に及ぶ怒りの手紙に見つけた台詞。
“これは最後通牒です。
僕は完全に怒っています。君のようなわがまま子は、何度言ってもわからない。要するに、バカ、バカ、バカなんだよ。君はどうしようもなく女で、女であり過ぎるゆえに、人間ではない。でも、この怒りがあるってことは、まだ僕は君に感情があるってことです。だって、無関心こそが、最低ランクの人の感情ですからね”
むむむ、なかなか面白いことを書いていたではないか、君。と、ババアになった私は感心します。この手紙を受け取って以来、大嫌い=大好き。だから、アンビバレンスという感情を私はむしろ肯定します。その一方で、好きでも嫌いでもない=無関心。それは、悲しい感情と思えます。
無関心 < 嫌い
負とはいえ、対象物に何かしらの感情がある事実に、喜ぶべきでしょう。
話を最初にリンクさせますと、さすがに11歳も年下の男の子になると、私のことには「無関心そのものズパリだろう」、と諦めを感じます。無関心、無関心、無関心……。乱暴に通訳すると、ネグレクト、にもなりますものね。ある意味暴力ですよね、それって。そして、無視っていう行為は時に人の言動をエスカレートさせ、相手をストーカーに変貌させちゃうこともありますよね。最新の注意を払って、無視するべきですよね。特に、「Hしっちゃったぁ~」なんていう関係の異性に関しては……。あらら、はしたなくてすみません