私的メモ♪ | 読書至上主義

読書至上主義

毎日1冊は本を買ってしまうワタクシの雑感です。

ビール上司がスナックへ行った時の話。ドアを開けたら、ママさんが若いホステスに説教をしていた。「性病が怖くてこの仕事をやっていけると思ってんの?」

上司の来店に気がつくと、「あら、まあ~、オホホホ、ようそこいらっしゃいました」と上品な女性に豹変ガーン


恋の矢偕成社の編集者・広松氏の言葉。「恋愛をすると、人を寂しくしますよね?」と。これ、同感です。恋愛をしていないと寂しいと思っていたのは、ある意味恋愛を知らない若い時の概念だ。本当の寂しさは恋愛中に起こる。それは、遠くから相手をそっと思う片思いでは起きない現象だ。その時、むしろ人間は幸福だと思う。

逆に、想いが相手に通じてからが大変だ。相手には一番に愛する恋人が居て、自分のことも好きでいてくれるけれど一番ではない。むしろ、それで都合がいい相手にされたりすると、こりゃもう寂寥感が募る。会いたい時に会ってくれない。電話したい時にすぐ答えてくれない。そして、疎遠になったりすると、もう鬱病みたく寂しくなるだろう。飯島愛の死を思い出してしまう。彼女は亡くなる前に、渋谷署に出向いて「寂しいから話を聞いて欲しい」と警察官に語ったという。それを聴いたあるコメンテーターが、「むしろ恋愛をしていて寂しかったんじゃなかろうか」と想像していた。私もこれに同感です。大好きな人が、自分と正面きって対峙してくれない場合、こういう心理になると思う。そして、それは絶対に肉体関係があった場合だろう。広松氏の言葉が理解できます。


女の子だから、私は結婚に向いています。結婚していると、もうあのなんともいえない苦しみを味わうことがなくて済む。非常にリラックスできて、自分の好きなことに集中できます。好きな人ができても、大丈夫なんです。既婚者だし、取り乱すことはない。その人を遠くから好きでいることを楽しめばいいだけだもん。独身の頃のように、仕事にも影響しない。でも、世の中には反対の人種がいることにも気がついた。角田光代さんは、人生において恋人がいない時期はたったの3ヶ月しかなかったと自慢していた。そして、「彼氏がいなくて、仕事をする意味があるのか?」とまで雑誌のインタビューで話していた。真面目そうなのに、恋愛の達人なんだなと感心しました。私には、無理。本当に大好きな人でないと付き合えなかったし、そうも本気で人を好きになれるものなのかしら? あるいは、そこまで好きじゃなくても人は付き合うのかしら? たぶん、告白されたら付き合う、という人種が多いのかなぁ~。来世は、それぐらいの人になって、恋愛を楽しめる人になれたらもっと人生が楽しかったのかなぁ~、と思ってみたりする。


とかげたぶん江國さんも私タイプだから、動物に憧れる、なんて発言をしたのだろう。自分が感受性が強過ぎて、感傷的になり過ぎることが多過ぎるから、感傷的でない動物に「清潔だ」なんて言葉を使った。そして、「動物には孤独という概念すらないから、憧れる」とも江國さんは言っていた。


ヒヨコ私の好きな小説『ドリアン・グレイの肖像』を書いたオスカー・ワイルドならば、こう助言するでしょう。楽天主義の根底にあるものは単なる恐怖心だ。


うり坊仕事にいちいち感情を挟まないこと。スーパーロジカルでサイエンティフィックな学者ならば、こう言うでしょう。ちなみに、鳩山首相は化学者でしたね。


しっぽフリフリセレブな生活をする同僚のお宅へ行き、ランチをご馳走になって悟ったこと。彼女は自分の暮らしを豊かにすること、自分の住空間を最高に居心地のいいことにすることだけに拘っている。素晴らしい空間でした。ご主人様はさぞ幸せ者でしょう。というより、ご主人もそういう日々の暮らしにプライオリティを置いているんだなと感じました。

私は、ちょっと人生の目的を変えたほうがいいのかもしれない。住空間を徹底的に心地いいものにし、自分の周囲の人間だけに意識を集中し、彼らだけを喜ばせる生き方がむしろいいのかもしれないと……。主人、両親、兄弟、友人、親戚、ペット、同僚、上司など。

とにかく、この限られた人生の中で、私という人間に出会った人だけを徹底的に喜ばせ、何かを与え、素晴らしい影響を与え、自分も与えられれば、それで崇高であるのだ、と腹を括ってしまえばいいのかも。読書はもちろん最高に大事だが、リアルな人間を、縁がある人間を、感謝の心を持って接していけばいいだけの話だ。まだ見ぬ人、まだ出会えぬ人、いつか会いたい人、いつか会いたくても会えない人、物理的に縁のない人、に想いを馳せても、自分の無力を感じてつらくて途方に暮れてしまうだけだ。