のりPや押尾学事件に関連する連日の報道を目にし、私たち夫婦は様々なくだらないことをたくさん語っています。私はあまりに真面目でダサいオーラに最近コンプレックスを持っていて、主人もそれはまた同様。どうしてもこう何十年も考えてきてこう毎日生きてきたっていう年輪が顔の皺の一本一本や目尻の下がり方にくっきりと表れています
私と主人がどこまで優しいタイプの人間かというと……。一番わかり易いのがレストランにて。例えば、自分達にお水を出すのを忘れているウェイターがいるとします。すると、私と主人は、もうなんだか指摘するのが可哀想で申し訳なくて、主人なんかいつまで経ってもウェイターを呼びつけることができない……。挙句の果てにウェイターがやっと近くを歩いてくれた時にもこっちが悪いことをしているかのような声で遠慮がちに「すっ、すみません。お水がないのですが……」と謝っってしまいます。トホホ……
私はそんな自分のキャラがとうとう嫌で、ちょっと小手先で悪(ワル)になろうとし、これから40代こそ“弾けてみよう”と企んではみても端から見るとどことなく滑稽なのかもしれない……。ぐっすん
ソファに座ってテレビを観ながら、先程主人がこう語っていました
「本当の悪(ワル)が真面目にやってちょうどいいのかもしれないな」と。
「悪(ワル)もワルだけでは生きていけないから(=食べていけないから)、ふと、たまには社会と折り合いをつけてきちんとやろうとする時、単にその人の生活パターンがそうなった時、なんともいえない魅力が出るのかもしれない。それは、まるで腐りかけの果物から最後の旨みがこぼれるような感じ」
一方、私が悟ったのは、ビートたけしのテレビでのコメントを聞いた時。マイケル・ジャクソン死去のニュースに寄せて、だったと思います。「人をかみ殺すぐらいの人間でないと、人を感動させることは難しい」と。これはあくまで歌手、アーティストやお笑い芸人等に関してだと思いますが……。おおっ、なんだか納得だわ、と驚きました。
さらに主人が一生懸命悪(ワル)になりたいともがいているワタクシを客観的に眺め、「真面目な人が悪ぶった時には魅力は全然出ないよ。真面目な人がもっと真面目になった時にこそ、やっぱり怖いほどの魅力が出るんだと思う」ですって
本当の不良少年が真面目に勉強した時なんて、すごく格好良いですよね? 学校時代はヤンキーで綺麗な女性が、大人になってから経営の勉強なんかしちゃって、その容姿とコミュニケーション力でぐいぐい会社を伸ばしていく様も格好良い。でも、主人は負け惜しみを言います。「あの人たちは、短期的にしか出来ないよ。そのうちボロが出るから。集中力や持続力がないから」。
真面目でダサい私たち夫婦がかっこよく生きる道は険しい…… 人はそれぞれの人生をそれぞれ楽しく生きているだけなので、何が良くて何が悪いかなんて本当に余計なお世話ですが、まあ、平凡が一番難しくて大変かもしれません