『海からの贈物』 アン・モロウ・リンドバーグ著(吉田健一訳) | 読書至上主義

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毎日1冊は本を買ってしまうワタクシの雑感です。

私がこの本を購入した理由は、書店の素晴らしいPOPに胸打たれて。恐ろしいまでの「熱」メラメラがありました。女性に生まれたからには読まなきゃ損ですDASH!とそれはもう真摯に訴えられていたため手にした記憶があります。今から6年前。当時は「新潮文庫の100冊」に選定されていましたが、今年は残念ながら入っていません。


それでも、これは、永遠の名著ですクラッカー合格ラブラブ ここに誓って断言します。



読書至上主義-『海からの贈物』
『海からの贈物』 リンドバーグ夫人著

著者は、史上初の大西洋単独横断飛行の成功者チャールズ・リンドバーグと結婚。父は、駐メキシコ大使。アメリカの名門女子大・スミスカレッジ卒。もしも昔に戻れるならば、アメリカの男女共学の州立大学へは行かず、リンドバーグ夫人と同様に私も名門私立女子大へ行きたいです。アメリカには素晴らしい女子大が東部にちらほらあります。ウェルズリーもいいです。


アン・モロウ・リンドバーグは『海からの贈物』で、“女性の生き方”について非常に深い話を展開しています。とても薄い(5ミリぐらい?)の文庫ですが、内容は重厚感に溢れています。でも、ひょっとすると、若い女性が読んでも何も感じないかもしれません。私も今読んでやっと少しついていける感じです。娘であり、女性であり、妻であり、母であるという何種類もの役割を持ち、自分がどんどん刻まれてしまい、日常が多忙極まりなく煩雑になり過ぎている女性が読むと、きっと共感できるし美しく癒されること間違いなしでしょう。


男性に対してお薦めしたいことは、もしもご自分の奥様や彼女が“あれもこれもやらなきゃ症候群”にかられているタイプで、気が散っていて満たされない精神状態に陥っていると察したら……、是非この本を紹介してあげて欲しいです。「何もやらないことをやる」と割り切り、一度ゆっくり内省してみると答えが見つかるかもしれないそうです。


さて、私が気になった文章を抜粋してみます流れ星 他にもたっくさん書きたい箇所があるので選び出すのがつらかったです。


キラキラ女はいつも自分をこぼしている。子供、男、また社会を養うものとして、女の本能の凡てが女に、自分を与えることを強いる。時間も、気力も、創造力も、女の場合は凡て機会さえあれば、一つでも洩る箇所があれば、そういう方向に流れ去る。私たちは必要のある時に、それも直ぐに、与えることを、伝統的に教えられ、本能的に望んでもいる。女は喉を乾かしているもののために絶えず自分というものを幾らかずつこぼしていて、縁まで一杯に満たされるだけの時間も、余裕も与えられることが殆どない。

 しかしそれでいいのではないかとも一応は考えられる。与えるというのが女の役目なのであるから、女が自分というものをこぼすのがなんで悪いだろうか。


ブーケ2…私たちが自分というものを与えた結果は、男がその仕事の世界で同じことをした場合のようにはっきりした形を取らない。一家の主婦がやる仕事は、雇い主に給料を上げてもらうということもなければ、人に褒められて私たちが及第したことが解るということも殆どない。子供というものを除けば、殊に今日では、女の仕事は多くの場合、眼に見えないのである。私たちは家事と、家庭生活と、社交に属する無数の内容を異にした事柄を一つの全体に組合せるのを仕事にしている。それは眼に見えない糸を使って綾取りをやっているようなもので、この家事や、お使いや、お付き合いの断片が混ぜこぜになっているのを指して、どうしてそれを一つの創造と呼ぶことができるだろうか。その多くは機械的に行われるもので、それに何か意味があると思うことさえ難しい。それで女は、自分が電話の交換台か、電気洗濯機のような気がしてくる。


あじさいしかし生活が比較的楽になった今日、多くの女は生きるための原始的な競争という点でも、また家庭生活の中心としても、自分がそれほどなくてはならないものとは感じなくなった。そしてそれがないために、私たちは飢えていて、何に飢えているのか解らないから、その空白をいつも手が届く所にあるいろいろな気を紛らす手段、― しなくてもいい仕事や、押し付けられた義務や、社交上の瑣事で埋めようとしている。しかしそれは大概は役に立たなくて、そのうちに私たちは泉が涸れてしまったことに気付く。


黄色い花飢えは勿論、自分がなくてはならない存在だということを感じるだけで凌げるものではない。与えることに意味があっても、与えただけのものを補う源泉が何かなくてはならなくて、乳がいつも出るためには栄養を取らなければならない。与えるのが女の役目であるならば、同時に、女は満たされることが必要である。しかしそれには、どうすればいいのか。


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最後に、この本を通じて気付いたことは、心静かに自分と向き合う時間を持つことの大切さです。

これは女性に限らず、男性にも当てはまる気がします。

やれやれ、忙しい日常生活。ストレスが溜まる仕事、飲み会、SEX、酒、スイーツ、ジム、ゴルフ、旅行……、そういう外的なもので一時的に自分の気を紛らわし、“自分以外の何か”が自分を根底からいつかスッキリとさせてくれるかもと可能性を信じて思い込みがちですが、結局のところ、その瞬間は到来せず、死ぬまであり得ないのではないか。最終手段として、自分の内面に自分が向かうしかないのではないか?


誰もいない1人の時間、座禅を組むような静寂な気持ちで、自己との対話をしてみる。そんなことをメッセージとして受け取りました。


ちなみに、リンドバーグ夫人は2001年95歳にて死去。20代後半で長男を出産しましたが、1歳2ヶ月の時に彼は誘拐され、殺されてしまいました。それでも、トラウマを乗り越え、5人も子供をもうけています。自らも飛行家となり活躍し、知性と教養溢れる女性として晩年には作家活動もされました。なんて素敵な女性でしょう。だからこそ、彼女の言葉には重みがあるはずです。


ただ、気になるのは吉田健一氏の翻訳。彼は吉田茂元首相の息子ですが、ちょっと訳が冗漫で古臭い気がします。もっと現代に合う日本語での翻訳だったらば誰にでもわかり易いだろうと真に惜しく感じます。この際、英語の原書を一度読んで、自分で翻訳して楽しむのも手かもしれないと思ってしまいました。