秋きぬと 目にはさやかに 見えねども・・秋の音は何処か切ない。 | のすたる爺の電脳お遊戯。

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北国の港町に生息する莫迦親父な生き物が
日々の手遊びを時に駄文で綴り
また戯れ絵で遊ぶ、泡沫の如き代物。

まだ残暑が続くようだけど

今はこういう気分・・

 

 

遠い日、500円札くしゃくしゃと手のひらに持ち

もう片方の手は小さい手と繋いで

赤い夕暮れが空を覆う細い路地歩きながら

 

かき氷喰うか大判焼き喰うかで

何となく言い合って結局コロッケ買い

フライパンで温めて喰った新庚申塚前あたり

 

湯上りの肌に触れる9月の夜風は

残暑から初秋に変わったのを

さりげなく莫迦と脳足らずに告げてくれて

 

気が付くと安普請のアパートの窓下

隣の壁との間、猫一匹の通り道の草むらから

ちち ちち と鳴く興梠(こおろぎ)。

 

 

此の音はF♯だね、と笑う脳足らずに

いや此れはD♭だろ、と応えた莫迦・・

 

流石に夜は素肌が幾分冷たくて

タオルケット巻き付けて抱き合ってた

厚みの無い安布団に敷いた茣蓙のうえ。

 

 

きっとぉ・・虫さぁん、音程で判るんだよぉ

あ、此れは○○ちゃんのおとだ・・

此れは、うん、せんぱぁいの・・

 

ああ、脳たらずの甘え声のkeyは・・・

Dだったような気がするな・・

幼いけど何処か甘くて湿りのある・・素直なD。

 

だからのすじいは、秋が少し苦いんだ・・

たぶん、ああ、此処から逝くまで。

 

 

そんな大学時代・・何をとち狂ったか二流私大で

哲学なぞという浮世離れな代物を

其れでも4年間糞真面目に学んでいたのすじい。

 

ある種の知的阿呆陀羅経が邦訳してある

希臘古代哲学の断片集など好きで普段読みし

英国の功利主義、ベンサムにちょこっと傾倒し

北一輝は法華経の行者というより哲学実践者と邪推し

宮沢賢治のオノマトペに真理の断片ありと妄想した。

 

 

その癖止揚(アウフヘーベン)を独逸語の直訳で

アウフ(上方に)ヘーベン(持ち上げる)と解釈し

体育会のような吹奏楽部の先輩の機嫌とって

一杯飲ませてもらう時の世辞、ヨイショの事を

密かにアウフヘーベンする、などと旧制高校生のように

考え落ちな=悪洒落=口にしちゃ粋がってた(笑)。

 

 

最後はお決まりのようにニーチェに漂着し

ニヒリズムと超人思想を合体させようと卒論で試み

担当教授にエホバのお筆先と最高の賛辞(笑)を貰う。

 

 

今もアレが大学に残ってたら凄まじく恥ずかしい(笑)

今ならゾロアスターの寝言くらいには書き直せるかも。

 

卒論の製本が間に合わず学生課の前で無言で・・

原稿用紙に後輩の小娘にパンチで穴をあけさせ

黒い綴(と)じ紐で必死に綴じて提出し

学園紛争による部室の移転と其の交渉で

懇意になった学生課の職員と課長に

此処まで往生際の悪い学生も滅多に居らぬよ、と

奇妙な褒め方の挙句にコーヒー奢ってもらったな。

 

哲学とはある意味魑魅魍魎のように不確定な学問だろう。

 

しかも理屈の全てが既存の論理否定から始まると思しき

=究極の俺学=にして=世に無くとも世が回る=学問筆頭。

 

まあ、だからこそ純粋な知的遊戯に近い代物で

考えたら実学、世の役に立つ学問は基本的に

知であっても智では無く・・まして般若でも無かろうし。

 

尤も俗世に一番塗れるような下種仕事・・

映像広告や宣伝なんぞ40年もやらかしてるうちに

あの頃の純粋な屁理屈、忘れちまったけどね。

 

今の小生の中にある究極の真理はただ一つ。

=かわいい、愛おしいは正義であり絶対=

 

うん、其れだけだ(断言~笑~)