そういえば・・いつの間にか消えたな、アルバム・・ | のすたる爺の電脳お遊戯。

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北国の港町に生息する莫迦親父な生き物が
日々の手遊びを時に駄文で綴り
また戯れ絵で遊ぶ、泡沫の如き代物。

本日はアルバムの日、なんだそうである・・

 

 

思えば昔のアルバム写真、変色したり

湿気で貼り付いてページ開かなかったりした。

でも、今のデータよりも記憶が温いのはなぜだろう。

 

単に老いゆえの追憶美化ってんじゃなくて

光学的に曖昧模糊とした部分が多分に残ってたから

写真、紙焼きフィルム写真ならではの味が出てたのかも。

 

デジタルは精緻で美麗で被写体に容赦ないけど

アナログフィルムには美しい嘘というか誤差がある。

 

其れが平面のモノクロ画面に鮮やかさと奥行きを生む。

 

ああ、基本、動画映像も静止画も光と影が作るのだ。

 

 

映画=第三の男=の時代から不変の原則にして神髄。

一瞬、田舎CM屋の頃の気分を思い起こす孤影の冬夜。

 

尤も、自分は写真を殆ど持たない・・記憶と絵だけの人生かも。

 

恋し愛して共依存してた異性が

一般の基準でいうと相当なちびデブで

さらに互いに依存と盲従が愛だと思い込み

分別も付かぬうちに腐れ縁になってた故に

其の記憶の似姿しか描けなくなっているから。

 

 

実際、現象的性差さえ日常に不要な壊れ者だが

男尊主義者でも無ければ女性蔑視など欠片も無い。

 

まあ、表現手段として場と読者を限るならば

かなりインモラルな春画も下手ながら描きもするが

人間の業を強調することは在っても人間性の否定や

一方的な弑逆に近い猥画は描かぬと思う・・。

 

自分が愛おしいと思い込んで生み出したキャラだ。

酷く扱うわけが無いではないか(苦笑)

 

 

ふと、短い余命と不具の躰、暗澹たる来し方行く末を思い

戯れ絵のあれと胸中で対話しつつ浮かんだ泡沫のような思い。

其れでも・・息を引き取る寸前まで描くだろうな、こいつを。