賞賛による堕落から逃れる方法はただ一つ。仕事を続けることである。人は、立ち止まって賞賛に耳を傾けがちであるが、唯一なすべきは、賞賛から目をそらし、仕事を続けること。それ以外の方法はない。

人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。

能力と意思がある人に、いかにして権力を与えるかという古くからの問題は、どんな努力をもってしても解決することができないままです。

この世界を、個人的な願望を実現する場とせず、感嘆し、求め、観察する自由な存在としてそこに向かい合うとき、われわれは芸術と科学の領域に入る。

結果というものにたどり着けるのは、偏執狂だけである。

過去、現在、未来の区別は、どんなに言い張っても、単なる幻想である。

思考とは、それ自体が目的である。音楽もそうです。

信念は、推進力としては役に立つが、調整器としては役に立たない。

身を切るような体験を通して、わたしたちは学びました。合理的に思考したからといって、社会生活に生じる問題がすべて解決できるわけではない、ということを。

この諺には、真実がある。「人に対して正しく賢明な助言をすることはできる。しかし、自分が正しく賢明に振る舞う事はむずかしい」

どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。

人間は、孤独な存在であるのと同時に、社会的な存在なのです。

海は、形容しがたい壮大な姿をしています。とりわけ、日が沈む瞬間は。そんなとき、自分が自然に溶け込み、ひとつになるように感じます。そしていつも以上に、個人という存在の無意味さを感じるのです。それは幸せな気分です。

人は、海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満ちている。ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されているということです。

わたしは天才ではありません。ただ、人より長くひとつのことと付き合ってきただけです。