ロゴスIESの英語科の吉田です。
SFC英語のなかでも、難易度が高い2013年度の総合政策の第二問の読解のために研究会が発足し(笑)、哲学的議論に発展し、、、、なので、もしかしたら、これがヒントになり読解の手助けができればと思い、SFC英語からはじめる哲学入門的なブログを書いてみます。
もちろん、読解解釈まで触れますのでお楽しみに!!
まずは、「リアリティ」について、日常的な用語を使いながら、比喩をふんだんに用いた物語風の記述を行います。本文に書かれていないことや、もっと突っ込んだ解釈も含まれていることに注意して下さい。総合政策の2013年の2番を理解する上の準備段階のような文章です。といってもわかりにくいので、、、是非英文にトライして、赤本もチェックした上で読むことをおすすめします!!
さて、唐突ですが、
私達にとってのリアリティ(現実感覚)とは、一体何なのでしょう。
私達は高度に発展した社会に生きています。そしてその中で、学校や家庭における教育、テレビやネットで接する現代社会の世相、または同世代の友人たちとの交流などを通じて、現代人としての"常識的なものの見方"というものを自然に身に付けて行きます。
その"常識"が余りにも日常的な感覚になってしまっているが故に、例えば、「来週の土日の休みのどちらかにゲーセンに遊びに行こうぜ」という何気ない文章を解読することには、本来膨大な文化的な素養が必要とされていることを、私達はしばし忘れがちです。
「来週」とは何なのか。「土日」とは何なのか。「休み」とは何なのか。「ゲーセン」とは何なのか。「遊びに行く」とは何なのか。
これらは、本当は高度に文化的で概念的な情報なんです。でも私達はこれらの情報にあまりにも日常的に接しているがために、私達はこれらを、「リアリティ(現実感覚)」として体感出来るようになっているのです。
「来週」という概念は、絶対的なものではありません。相対的な概念です。今週があって、来週があるものであり、では、今週とは何なのでしょうか。1週間が7日という区切りは至極人工的な感覚であり、しかもそこに「今」という概念が付け加わっていることで、「今」とは何なのかという話とも繋がってきてしまうわけです。
「土日」という概念もそうです。絶対的なものではありません。相対的な概念です。
「月・火・水・木・金・土・日」という7日刻みのサイクルを人工的に設定した上で、
その最後の2日を、「土・日」と言っているに過ぎません。しかもこの感覚の根本には、日曜日を休みの日に設定していたキリスト教世界の価値観が存在しています。
さらに、現代日本では、90年代から週1回の休みを拡張し週休2日制を導入して、
「土日」が休日であるという感覚が一般的になったという背景も存在しています。
「来週」や「土日」という言葉は、相当量の経験的な知識や感覚が介在してはじめて成り立つ、相対的な概念に過ぎないんです!!
高度に発展した文明社会に生きる私達は、経験的に獲得した様々な社会的な背景知識をベースにした上で、「社会の構成要素」という抽象概念を、直感的に、"常識"として処理して生きることの出来る、何とも複雑怪奇な生き物であるということも言えるでしょう。
近代化する以前の文明社会を考えれば、もっと自然に近い状態で、つまり、山や川という情報をベースにしながら、例えば農耕社会を営んでいたでしょう。
もちろんそこではもっとシンプルな"常識"が存在していたと思います。それでも例えば"年貢"という概念を理解するには、社会的な背景知識は最低限要求されている訳です。
ということは!
言語を獲得した私達にとって、これらの「社会的な常識」と「リアリティ(現実感覚)」には密接な関係があると言えます。言葉として理解した「社会の合意」が、半ば、「私達の現実」になっている側面があるのです。
しかし、本当にそれだけで片付けて良いのでしょうか!?
え、片付けちゃダメなの!?!?!?
つづく、、、、