『新潮』の5月号(2025年)に掲載されてゐた村上春樹の「武蔵境のありくい」を読んだ。

 〈夏帆〉その2 といふサブタイトルがついてゐるやうに〈夏帆〉が主人公の連作になるのかもしれない。ところが私は「その1」を読んでゐないので、どんな繋がりがあるのかは分からない。そもそもこの「その2」だけで小説は完結してゐると考へるしかない。

 

 不吉な小説だつた。いつもの感じと言へば村上の愛読者は反発も理解もされるであらう。それだけ「文体」があるといふことだ。それはそれでさすがといふことでもある。

 不吉1   主人公が理由もなく足立区から武蔵境に引越さねばならなくなつたこと。

 不吉2  引越しを命じたのがありくいだといふこと。

 不吉3   引越し先の家の階下にありくいがつがいで住んでゐるといふこと。

 不吉4   そのありくいに指図されて不思議な荷物を取りに行くことになること。

 不吉5  その荷物を預かつてゐる店は研ぎ屋であること。

 不吉6  その研ぎ屋の主人が実は動物であるといふこと。

 不吉7   夏帆がその主人を……

 

 サスペンスドラマ風で、この感じは『騎士団長殺し』に似てゐる。それが「いつもの感じ」の正体である。そのことにいやいやそんなことはない、新趣向であるとお思ひの方は反論して来るだらうし、その通りと思ふ方は理解を示してくれるだらう。

 

 姿の見えない人の声を聞き、その指示に従つてしまふのは、一般的ではないが、現代の犯罪者の中にはさういふ人がゐるであらう。不思議な話であるが、リアリティーがある。唯物論では片付けられない身体と精神と霊魂との間の中に私たちの生があるのは本当だらう。

 しかし、救ひはない。村上春樹の目には何が見えてゐるのか。不思議でたまらない。