久しぶりに映画を観に出かけた。梅田のスカイビルの3階4階にあるテアトル梅田で、「新凱旋門物語」を観た。

 実話を基にした映画で、フランス革命200周年を記念して建設される新モニュメントを巡る物語である。

 日本の黒川紀章も選考委員を務めたそのコンペティションで優勝したのは、無名のデンマークの建築家ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンであつた。誰も知らない(デンマークの大使館に電話をしたが、その建築家のことは知らなかつた)彼を訪ねるところから描かれる。パリに招かれて、記者会見。いじわるな質問を受けるが、そんなことは意に介さず、大統領肝入りのこの新モニュメント建設は始まる。

 建築会社はどこにするのか。設計は誰が担当するのか。大統領と施工者との間を取り持つ人間は誰が担当すべきか。建築とは、単に建築家の単独の仕事であるはずはなく、政治、財政、官僚組織、国民の関心など様々な要素が複雑に絡みあつてゐる。そのことを事件が起きる度に画面に描き出していく。

 怒号あり、確執あり、駆引きあり、癒着あり、そして建築家を支へた妻との亀裂まで描く。妻との間のことは創作であると冒頭に字幕で書かれてゐたが、逆にそれ以外は本当の出来事であることを暗示してゐた。

 途中、支持してくれてゐたミッテラン大統領が、国政選挙で大敗し、予算が大幅にカットされることになる。それに伴ひ、設計は変更され、金を踏み出すテナントビルが敷設され、当初予定してゐた材料は廉価なものに変更された。次々に建築家の描いた「キューブ」(新凱旋門が立方体の造型なので、さう呼ばれてゐる)は変質していく。失意のなかで、建築家は仕事から降り、完成を見ることなく亡くなつてしまふ。

 

 それにしても、登場人物たちの対立の激しさと翌日にはからりとしてゐる変容振りが、じつに見事であつた。なるほどこれがフランス人か(欧米人か)と思はせてくれた。ネチネチとしたところが一切ない。意見は衝突する。怒号が飛び交ふこともあるが、くるりと背を向ければ、それまでの仕事をこなせる意識の運用術が私たちには到底できないものであつた。私はそこに一番魅せられた。これが個人主義といふものであらうか。そんな気さへした。私たちのそれは場の空気に飲み込まれてしまひ、場から離れることができない間人主義(誰の言葉だつたらうか)であらう。

 

 悲しい結末である。後からネットで「新凱旋門」と日本で言はれる「グランダルシュ」を見てみたが、やはり建築家の理想したものとは程遠い印象を持つた。側面がすべてガラスで、内面が高質な大理石でできてゐたとすれば、もつと美しかつただらう。そして、キューブの中にある黒い梯子も当初案にはないものである。あれは建築途中であるかのやうな造型になつてゐる。

 

 建築家のワガママであるのかもしれない。しかし、あのスペインのサグラダファミリや、バチカンの聖堂も、建築家のワガママではないと断定もできまい。となれば、民主主義国家の政府といふものの脆弱性が、美においても弱点となるといふことを示してくれたとも言へよう。

 

 休日の一日を豊かにしてくれる鑑賞だつた。