なんとも切ない書名である。しかもそれを現役の教師が書店で目に止め、書棚から手に取る場面を思ふと胸が詰まる。ーーしかし、これを読んで今それについて書かうとしてゐる私は現役の教師である。

 

 10年前であれば、この本を読んでも書評は書かなかつただらう。そして、丁度10年前私は教師生活で初めて授業崩壊といふものを体験し、この筆者が心を寄せる「月曜日がつらい先生」であつた。体が震えながら教室に入るといふ経験をしても、それで自分が成長できたとは全く思へない。しなければよかつたやうな体験であつた。それでも、望まなくとも訪れる不運といふものはある。それに立ち合つてしまつたといふことである。もちろん、その学校のすべての教師に同じ体験が訪れた訳ではない以上、私といふ個人に原因の一端はあつたのである。それを感じるから余計に苦しくなつた。しかし、今となつてみれば学校自体が変革に失敗し生徒たちを教育する機会と方法とを捨ててしまつたことによる自壊作用をもろに受けてしまつたと思ふ。なんとか自力で解決しようと思つたのが自滅の始まりであつた。自己の能力以上のモノを背負ふことはできない。教訓と言へば教訓であるが、先ほども書いたやうに感じなければ良かつた教訓である。それからはどうも「逃げる」といふことを覚えてしまつたやうに思ふ。

 

 閑話休題。

 本書は、多くの苦しむ教師たちの診断を通じて得られた寄り添ひの書である。決して激励はしてゐない。そのトーンが非常に心地よかつた。そして苦しむ教師が戦線を離脱することで、周りにゐる教師たちがどう思ふかといふことも現実的に記してゐる。現実的と言へば治療についてもこれまでに読んだことがないやうな具体的に書かれてゐた。厳しさもだから伝はつて来た。

 本書の最後に筆者は、かういふ本を書くと「そんなに辛いといふことを書くと教師のなり手が減つてしまふのでは」といふ批判も受けたといふことを書いてゐた。なるほど読み手によつて読後感といふものは異なるものだ。しかし、現実を知ることは悪くないし、この種の本を読む人は教師にはならないだらうから、これで良いのだらうと思つてゐる。

 

 教師といふ仕事が世の中で最も辛い仕事であるといふことはないが、筆者も書いてゐるが、これほど四六時中世代の違ふ人間関係の網の中に投げ込まれてゐる職業は他に見当たらない。一見すると教師は子供たちだけを相手にしてゐると思はれるだらうが、20代から60代まで世代の違ふ教員同士(必ずしも上司部下といふ関係ではない)、あるいは保護者たちと毎日接してゐる。その意味で特殊であることは間違ひない。

 私の教員生活は間もなく終はるが、苦しんでゐる同僚や後輩たち、あるいは上長をいち早く発見し、集団として支へる手立てを講じる目は持ちたいと思ふ。

 ありがたい書であつた。