間もなく閉館する神田(秋葉原近く)の交通博物館に行つてきた。小學校の修學旅行以來だから、じつに30年ぶりの再訪だつた。入り口の新幹線が強く印象づけられたその時の思ひ出を確かめようと思ひ訪ねてみた。その新幹線は今も健在で、その前にしばし立たずんだ。
館内は、春休みの子供たちと、マニアのやうな青年、ひたすら懷かしむ老人たちとでいつぱいだつた。それは幸福な最期を建物全體が喜んでゐるやうにも思へて、じつくり眺める隙間も雰圍氣もなく、小1時間ほどで出てきた。
小學生の頃の感慨はなかつた。鐵道に對する興味も失せてしまつたからかもしれない。しかし、今自宅に戻りパンフレットを見て思ふのは、「交通」博物館とは言ふものの、展示物のほとんどは鐵道に關するものであり、自動車の時代を迎へた今日では、展示を變へなくてはならないだらうといふことであつた。もちろん、この建物はジェイアール東日本のものであるのだから、この展示は當然ではあらう。しかし、交通が鐵道とほとんど等價であつた時代のコンセプトである今のあり方は、その役割にいつたん中仕切りをするといふのが鋭敏な時代感覺だらうとも思へたのである。そして、來年10月14日には、さいたま市にその名も「鐵道博物館」を開館するといふ見識も、私には快い驚きを覺えた。冱えてゐるな、ジェイアール。逆説めくが、これで鐵道の役割はいよいよ明確になつてくるだらう。さう預言めいたことを言ひたくなつてしまつた。
新幹線でではなく、バスで上京した修學旅行の少年には、新幹線は寶物のやうに見えた。その新幹線の先頭車輛が顏を見せる神田の交通博物館は、やはり良いものだつた。東京の新幹線、大阪の太陽の塔、昭和の美しい遺物である。