神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。 麓の境内に社務所が、高い石段を登ったところに社殿がある。日本三代実録には貞観9年(867年)2月に官社に列せられたという記述があり、延喜式神名帳では小社に列している。江戸時代に入ると太平寺村の氏神として信仰され、熊野権現社と称していた。かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる古代寺院があった。 聖武天皇孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏されたという。 智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願されたといわれている。 その後、智識寺は室町時代ごろに廃れたとされる。