6歳で疎開して18歳まで



群馬県安中市で育った。



今では高崎市から長野県に



接するまでの広い市だ。



当時は本当の田舎町で道路も



舗装されているのは国道(中仙道)だけであった、



日光の杉並木と同年代の杉並木があり



歴史的には完全な城下町であった。



三方を川に囲まれ、残る一方が杉並木で囲まれている。



夏は毎日昼から3時ころまで川で水泳をして遊んだ。



川に行くのも赤フンひとつで裸足である。



流れに向かって泳ぐのは苦しいが楽しかった、



流されて下る心地よさがあるからだ。



プールは街に一つあったが遠いので



年一度の水泳大会の時にしか行かない。



だが泳げない子供はいなかった。



大会の時は川育ちの子が優勝をさらったものだ。



今は上流にダムができたからか、



泳げるような水量の場所がないようだ、



自然と戯れることのできない今の子供が



可哀そうな気がする、



たくましい子供が育たないのも



こんなところに原因があるのでは、



一考を要する。




我々の年代同士の会話に食事の話題がよく出る。



育ち盛りが終戦から戦後の最貧時代のためだ。



甘くもない量産の薩摩芋中心の食事、



とにかく腹が満たされればまだ良いほうで、



空腹感が常であった。



ようやく米麦の御飯が食せたのは



昭和26年ごろからである。



本当に嬉しかった。



それ故今でもご飯と少々のおかずがあれば



十分なのである。



こってりした肉料理や豪華な洋食は



特別食べたいとは思わない。



栄養は季節の魚と野菜で充分とれるし美味しい。



たまたま出会った貧食の境遇が



良い食の教育であった。



贅沢な現代の子供に少しは参考になるように



親が行動をもって指導してはいかがであろうか。



美食がベースだと粗食(普通食)には戻れないのでしょうか。



ISO認証取得の勉強会も10カ月となった。



初期は勉強というものに慣れないで



集中力が不足であった。



少しづつ熱が入るようになり、



今は理解が早い。



初期のころ作成マニュアルの



修正が多くなっている。



理解が高度になり初期理解度の反省を



促しているのである。



全社員にも浸透してきているので喜ばしい、



もう一歩である。



これでよし、という到達点はあろうはずもない。



常に明日に向かって努力、



勉強を心掛けて行かねばならない。



この勉強会で全員が一丸となること、互いに励まし、



協力すること、なにより勉強意欲が養われてきた、



事が大きな収穫であった。



休み返上の効果が利益となり



社員に還元されることは間違いない。



更に頑張ろう。