6歳で疎開して18歳まで
群馬県安中市で育った。
今では高崎市から長野県に
接するまでの広い市だ。
当時は本当の田舎町で道路も
舗装されているのは国道(中仙道)だけであった、
日光の杉並木と同年代の杉並木があり
歴史的には完全な城下町であった。
三方を川に囲まれ、残る一方が杉並木で囲まれている。
夏は毎日昼から3時ころまで川で水泳をして遊んだ。
川に行くのも赤フンひとつで裸足である。
流れに向かって泳ぐのは苦しいが楽しかった、
流されて下る心地よさがあるからだ。
プールは街に一つあったが遠いので
年一度の水泳大会の時にしか行かない。
だが泳げない子供はいなかった。
大会の時は川育ちの子が優勝をさらったものだ。
今は上流にダムができたからか、
泳げるような水量の場所がないようだ、
自然と戯れることのできない今の子供が
可哀そうな気がする、
たくましい子供が育たないのも
こんなところに原因があるのでは、
一考を要する。