「守・破・離」は武道のみならず、語学にも通ずる! | ~学びと遊びのコラボレーション~大魔道士的家庭教師logicの航海日誌

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茨城県在住のプロ家庭教師こと大魔道士的家庭教師・logicです☆「勉強というマイナスイメージがあるものをいかに面白くできるか?」というテーマプラス、人生を面白おかしく生きる知識、知恵を追及しています☆キーワードは“冒険”、“コラボレーション”!

2006年に某サイトで書いた記事に加筆訂正した内容ですが、ここにも掲載します♪

突然ですが、我々が何気なく使っている日本語ってどうやって覚えたのでしょうか?

いろいろな意見が出てくると思いますが、でも
「元になる日本語を真似、模倣、イミテイトして身につけた」
と言うのは誰も否定できない紛れもない事実だと思います。

よく考えてみるとこれって我々が話している日本語だけでなく、我々が身につけた何事にも言えると思いませんか?

ここでタイトルの「守・破・離」の解説をします。この「守・破・離」って言葉は武道由来の言葉なんです。
この言葉にどういう意味が含蓄されているかと言うと…

守→型を“守る”

破→型を“破る”

離→型を“離れる”

武道には型がありますが、型をベーシックに武道習得のプロセスを表現したもので、武道の基本と言われてるのです。

分かりやすく例を話すと、大方の人が乗っている自転車を想像してください。

いきなり乗りこなせって言われてもそんなのは難しい話。そのためにまず補助輪を付けて練習するはず。そして、次第に慣れてきて補助輪が無くてもできるかな?って気持ちになってくる。
そして、ついに補助輪が無くても自転車に乗れて自分の行きたいところまでサイクリングするようになる。
これを「守・破・離」に当てはめると…

守=補助輪

破=慣れてきた段階

離=補助輪なしで自転車に乗ってサイクリング

となるはず。

これはよくよく考えると自動車の免許取得も同じ過程という事に書きながら気付きました。

教官の指示どおりに作業を行う=守、補助輪

仮免合格して、免許取得まで=破、自転車に慣れてきた

免許取得して自分でドライブ=離、補助輪無しで自分の行きたい所までサイクリング

ここまで話したなら、大方想像がつくと思いますが、この「守・破・離」は武道だけでなく、あらゆる事にも通じてると思うのです。

最初に話した我々が使っている日本語だって同じ過程を歩んできてるはずです。

今の学校教育に関して型にはめる事がよくないという批判を聞きます。そう言いたくなる気持ちもわからなくはないけど、私的には型にはめる事そのものがいけないのではなく、型だけに留まって残り二つの「破・離」にあまり力が注がれてない事が問題なんだと私は思います。ごはん、みそ汁、おかずのみっつ揃ってこそ気持ちいい食事ができるみたいなもの(?)

この「守・破・離」、自分が身につけてきたもののどれかに当てはまるはずです。それは何か皆さんも考えてみてください。

学校の勉強にしても、語学習得、人を笑わせるユーモアなど何にしてもこの「守・破・離」が根底にはあるということを強調しておきます。

この話を聞いて、人真似をすることに抵抗がある人の気持ちがすっきりしてもらえたらと思います。(これって全て以前の自分の事だという事は内緒です(苦笑))