路線バスには葬儀屋さん。 | 平凡なものを緻密に見れば、 非凡なものが見えてくる

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まず、先に言っておく。

他の地域は知らない。

ただ、なぜか大阪市営バスには、葬儀屋の広告が多い。

それはなぜなのか?


大阪市営バスには、通常の路線バスと、通称「赤バス」と呼ばれる小型の格安バスがある。

そのどちらも、利用者の大半が高齢者である。

その理由のひとつは、大阪市では70歳以上になると、「敬老優待乗車証」なるものがもらえる
からだ。

これを持っていると、市営の交通機関にタダで乗車できる。

さらにバスは、電車の駅よりも自宅に近い場所を走ってくれるということもある。

そんな背景もあり、大阪市営バスの中は、いつもじいちゃんばあちゃんでいっぱいだ。


そんな半高齢者専用バスとも言える市バスに、葬儀屋の広告が「これでもか!」と言わん
ばかりに、デカデカと掲載されている。

特に、赤バスは(ある意味)その潔さが際立っている。

しかも、その広告のコピーがまた(ある意味)秀逸で・・・


平凡なものを緻密に見れば、 非凡なものが見えてくる


『いつか、あなたも・・・おくりびと!』


いやいやいや・・・

縁起悪すぎるでしょ。

確かに、いずれは誰しも一度はおくりびとになるでしょうけども。

特に老夫婦なんかは。

こんなにあからさまなコピーで広告打って、クレームとかこないんだろうか。


でも、広告を打つ以上は、ある程度プラスのROIを見込んでるから出してるわけで・・・。

これを見て「うちのじいさんもそろそろかなぁ。考えないとなぁ。」って思うおばあちゃんも
いるんでしょう。

とりあえず、プラスにはなってるってことなんでしょうね。

まぁ確かにターゲティングはおおよそ外してないですからね。


でも・・・

僕はこの広告はあからさますぎてあまり好きじゃないです。

インパクトはありますけどね。

嘘も書いてないですし。

ただ、これを見て気分が良い人ってあんまりいないんじゃないかな。

ビジネス的に見れば、見込み客になりそうな人たちがいる場所に広告を打つのは確かに
合理的だけど。

でも、合理を追及する余り、「人間」をないがしろにしてる気がする。

ビジネスをしてる相手は「人間」だってことがおろそかにされてる気がする。

まぁ、本当のところは分からないから、これは想像でしかないけど。

少なくとも、僕はそう感じた。


ていうか、そもそも論として、こーゆー広告の出稿を許可してる大阪市に問題があるん
だろうけどね。

実際、市バス自体が赤字の垂れ流しだから、広告出してくれるなら何でもいいんだろう。

事実、市バスの広告ってパチンコとか葬儀屋とか消費者金融がほとんどだから。

行政において、利用する人たちのことよりも、お金が優先されてることが本質的に問題。

まぁ大阪市の財政はほんとにひどい火の車だから、仕方ない面もある。

でも、それを言ったら、日本中ほとんどがそうだ。

ていうか、日本そのものが実質的に財政破綻してるし。


閑話休題。

とにかく、大阪市の市バスに葬儀屋の広告が多い理由、その本当のところはわからない。

ただ、恐らく利用者の大半が高齢者で、すぐにでも見込み客になりそうな層だからだと
思う。

「砂漠で水を売れ」とは、営業の世界でよく言われることだけど、まさにこれを実践している
状態だと思う。

近々死期を迎えるであろう人たちに対して、葬儀を売る。

無駄のない効率的なやり方だと思う。

また最近は、葬儀セミナーも流行ってるようだし、人々の葬儀への関心は高い。

それを踏まえると、今回のような広告は本当に効果的だと思う。


しかし、ここで個人的に考えるのは、「合理性を追及しすぎなんじゃないの?」ということ。

今回の市バスの話でも、老人だらけのバス内に、葬儀屋の広告を出すのは、まさに合理
を追及した結果である。

しかし、そこには人間の非合理的な部分、つまり感情などは排除されている。

本質的に人間を形作っているのは、そーゆー非合理な部分なはずなのに。

18世紀頃から始まった近代合理主義、資本主義の顛末なんだろう。


確かに、少し前までの時代なら、それでもビジネスはある程度回っていただろうと思う。

しかし、これからの時代は、それではきっと続かない。

すべての経済活動を行っている「人間」にフォーカスを当てていかないといけない。

合理性を追及し、資本主義を推し進める時代を超克しなければならない。

そう僕は思う。


『人間とは何か?』

この問いについて、もう一度真剣に考える時代になっているのではないだろうか。

経済活動をしているのは、人間であって、ホモエコノミクスではない。

喜怒哀楽という豊富な感情の中で生きる「人間」である、という事実に目を向けるべき
なのではないだろうか。