お久しぶりです。
もうすっかり世は春爛漫の季節となり、桜も各地で咲き誇り、絶好のお花見シーズン到来。
桜があるところには大勢の花見客がごった返している光景をいろんな場所で目にするよう
になった。
そして、そこではほぼ例外なく巨大なブルーシートを場所取りのために地面に敷かれ、
その上で大の大人たちが飲めや唄えやのドンチャン騒ぎ。
未だに僕は、その楽しさが一向に理解できないが、今はその話はどーでもいい。
お花見のときにいつも疑問に思うのが、「なぜブルーシートを敷くのか?」である。
ほんのりピンクの桜、緑の葉、茶色の木や地面に対して、巨大な青のシートは、明らかに
異質な匂いを発している。
そもそも、ブルーシートは工事現場などでよく使われ、災害時に倒壊した建物を覆うのにも
活躍し、風雨にも強い「現場」の味方である。
また、犯罪などの事件現場でもよく見られる。
犯罪現場の遮断、犯人の隠蔽など、一般の目に触れさせたくないものを隠すときに警察が
使う隔離グッズでもある。
そんな、どちらかと言うと明るくないシーンで使われるような巨大なブルーシートは、いつから
お花見の現場で使われるようになったのだろうか?
その前にここで、花見の歴史をしばし振り返ってみたいと思う。
そもそも「お花見」は、奈良時代の貴族が始めた行事だと言われているそうだ。
しかも、その当時のお花見のときに愛でる花と言えば、桜・・・ではなく梅だった。
中国から伝来したばかりの梅が、奈良時代には愛され、それを愛でる行事をお花見と呼んで
いたようだ。
そこから平安時代になり、平安京の本殿である紫宸殿の前庭に、「左近の梅」と「右近の橘」
という木が植樹された。
それがしばらく経ったとき、「左近の梅」が枯死してしまった。
そのときに、梅は桜に植え替えられ、有名な「左近の桜」となり、そのときくらいを境に、和歌
でも桜をテーマにした歌が多く詠まれるようになり、いつしか「花と言えば桜」となった。
また、この当時でもまだ、花見と言えば貴族の遊びだったようだ。
さらに時は流れ、鎌倉時代、室町時代になると、花見は地方の豪族や武士の間にも広がり、
安土桃山時代には、あの豊臣秀吉が催したと言われている、文禄3年の「吉野の花見」と
慶長3年の「醍醐の花見」をきっかけに、一般大衆の間でも、お花見の楽しさが知られるよう
になり、大衆的な催事になっていったと言われている。
そして、江戸時代にはさらにそのムーブメントは広がり、人々は花見に熱狂するようになった
ようである・・・。
閑話休題。
さて、安土桃山時代に一般的になったお花見だが、その当時から敷き物はブルーシート…
を使っていわけはない。
その当時はゴザや花ゴザをおそらく使っていただろうと思う。
それがいつからその風情あるゴザを敷く習慣から、ブルーシートを敷く習慣に変わったのか。
いろいろと調べてはみたが、結局その起源はハッキリとは分からなかった。
ただ、少なくとも30年前にはその習慣は存在していたようだ。
誰がやり出したのか分からないが、そいつは何ともセンスがない奴だと個人的には思う。
「丈夫で、風雨にも強くて、大きくて便利だから」使い始めたんだろうが、あからさまに花見
の場の景色には無粋なシロモノだと思わなかったのだろうか。
せめて色を土の色にするとか、葉の色にするとか、花の色にするとかすれば良かったのに。
誰かが始めた奇妙な慣習のせいで、いつも花見の場ではブルーシートたちが浮いている。
「郷に入らば郷に従え」が美徳の日本人たちには、「隣で使ってるんなら自分たちも」という
心理が働くんだろう。
皆と同じでないと安心できない大衆的資質を、こんな場面でもまざまざと見ることになる。
あれではきっと、ブルーシートたちも不憫に違いない。
だらしない人間たちがランチキ騒ぎをする度に下敷きにされなければならないんだから。
もっとも、お花見をしてる輩には、「花を愛でよう」などという気持ちはそもそも限りなく希薄
に違いない。
ただ、多くは居酒屋での飲み会感覚で、日頃の鬱憤を晴らす場としてるんだろう。
日本古来のすばらしい文化も、現代の日本人には一種のストレス発散のひとつに過ぎない
んだろう。
何とも言いがたいことではあるが。
そー言えば、今朝のNHKで、どこかの文具メーカーが、桜色シートを開発したという話題
を取り上げていた。
そこの社長も、「何で花見にブルーシートやねん!」と突っ込んでみたことから始まり、
「花見に相応しい色のシートを」と、桜色のシートを開発したらしい。
まぁ、そもそも「シート」が花見にマッチするのかどうかが疑問な話だが、この社長の試み
には拍手を送りたい。
出来れば、「花見用巨大折りたたみゴザ」でも開発してくれれば、尚いっそう良いのだが。
それは今後いずれ開発されることを願って・・・。
それか自分で開発しちゃうか!?