「ぶっ殺しちゃったの」

空気に潜んだ深海魚はすっかり震え上がっている


カルピスを丁度良く薄められたかどうかで明日の運勢を占っている横顔を指差して笑えるならまだ一週間は生きていける、それから見殺しにした多くの事を思い出す事がどれだけ大変な事かを壁に向かって呟くだけの余裕を貰える


「ぶっ殺しちゃったね」

そんで、ぶっ壊れちゃったの


どこまでもアナログなのに認められない/目の前に置かれたカルピスは今日も薄い/酸欠の深海魚


お天気キャスターは綺麗に笑って「明日は一日快晴です」

明日の運勢は最悪みたいだ、明日も、明後日も、明々後日も


カルピスが苦手なだけだろ、


「深海魚は干乾びるでしょう」


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呼吸のリズムに飽きてきたせいか、魚になる夢を見た。

しばらく水中でじっとしていたら、エラ呼吸が出来ない事に気付いて溺れて目が覚めた。


結局私は私だ。





幼い頃の記憶の中で、私は野良犬が殺される音を居間で聞いていた。


罵声と鈍い音が夏の庭に響く中、犬は細く鳴き続け、やがて静かになった。

その時の鳴き声は「ふぇ~ん、ふぇぇ・・・ん」といった調子で、迷子になった幼児とまるで同じだったと今は思う。


翌朝庭へ出て、人は犬を殺せるという事を知った。

そして蝿が群がるまで放置された亡骸を、片付ける人がいるという事も。


悲しくもないし驚きもしない。

そういう世界に生きているという、肩幅分の日常の中で幼かった私に与えられたリアル。


暴力と自己満足、格差と偏見、嫉妬と謙虚、そんな言葉や関係性について考える事も悩む事も、疑問に思う事もなかったあの頃。全てが幸せであり不幸でもあったかもしれないあの日々。


もう戻れない。戻りたいとも思わない。

ただ、あの泡を吹いて死んだ犬の鳴き声がたまに、耳の奥で聞こえる。







愛の傍ら
救世主症候群の彼女は
「お祈りしよう」と手を合わせる

その掌に隠した信仰心が
誰かを傷付けたとしても

救世主は彼女の愛に逆らえない


溜め息一つで

灯火すら消そうとする彼女の

ひだまりに揺れる幼い瞳では

捉える事の出来ない愛の輪郭


その傍ら

「お祈りしよう」と

震える手を合わせる彼女に

救世主はただ微笑む


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