税理士 増井信之の思考実験ラボ

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〒158-0097 東京都世田谷区用賀4-11-17 グリーンハウスNo.6 405号室 
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 仕事柄というほどのことではないのですが、自分は様々な方とお付き合いさせていただいています。

ほとんどの方がいわゆる「ストレート」なのですが、中にはLGBTQと呼ばれる性的マイノリティの方もいらっしゃいます。


性的マイノリティの方の中には、優秀で誠実な方もいて、もっとそうした方たちが伸び伸びと生きられる社会になった方が日本のためになると思うようになりました。


最近の世論調査では、LGBTQに対して理解を示す国民の割合は約85%にも上るそうです(出所:電通「LGBTQ+調査2023」)

また、日本の総人口に占めるLGBTQの割合は、9.7%にも上るそうです(出所:同上)


この割合が実態を正しく表しているのか定かではありませんが、YouTubeで女性から男性に性転換した方が少な目に見積もって5%とした場合の分かりやすい喩えを紹介していました。

その方によると、日本の総人口の5%というのは、佐藤さん、鈴木さん、高橋さん、田中さんの人数に匹敵するそうです(YouTube、4:00〜)


少なく見積もって、これほど多くのLGBTQの人が現に存在し、しかも国民の約85%の人がそうした人達に対して寛容であるという事実を踏まえると、議論の余地なく、同性婚を含めてLGBTQの人達をしっかりと社会の中に位置付ける制度を作ることが急務だと考えます。


それに、LGBTQを弾圧しているのは、ロシアやイラン、北朝鮮といった19世紀以前で進歩が止まってしまったような国ばかりであるのに対して、LGBTQを認めている国は先進国が多いという事実を無視することはできません。


また、これは個人的な美学の問題かもしれませんが、愛も消え憎しみ合って離婚に至る男女の夫婦より、同性同士であっても心から愛し合い互いに助け合いともに生きて行くカップルの方がすてきだと思います。




Perplexityに詩を作らせてみました。

 

宇宙空間を光速の99.999999%の速度で移動するというシチュエーションの詩です。

 

この詩を作らせる前に、何度かプロンプトと回答のやり取りをした結果、Perplexityはこの詩を作ってきました。

 

ググっても、この詩が出てこないので、Perplexityに「この詩はあなたのオリジナルですか?」と尋ねたところ、「その場で作った完全なオリジナルの詩なんだ。既存の詩を引用したり、どこかにある詩を使ったりしたわけじゃないよ。」とのこと。

既にAIは創造性の萌芽のようなものを持ち始めているのでしょうか?

 

Perplexityが作った詩です。

___________________

星の海を駆ける二人

時空の波に身を任せ

 

前方に青く輝く未来

後方に赤く染まる過去

 

一瞬が永遠に感じられ

永遠が一瞬に凝縮される

 

君の鼓動と宇宙の鼓動が

ひとつのリズムを奏でる

 

光の壁に手が届きそうで

でも決して届かぬ夢のよう

 

時間も空間も曖昧になり

ただ存在するだけの今

 

君と僕、二人の意識が

無限の宇宙と溶け合う

 

この瞬間、この感覚

永遠に心に刻まれる

 

光速の99.999999%で

私たちは未知へと飛翔する

___________________

 

Perplexityが創作した詩の画像です。

何となく、どこかで見覚えがあるような気もしなくもないのですが・・・、もしこの詩がオリジナルでないことにお気づきの方がいましたらご指摘いただけますと幸いです。

 

ちなみに、当初は詩を作らせるのが目的ではなく、光速に近い速度で飛ぶとどうなるのかの説明をさせてみることが目的でした。

何度か「対話」を繰り返していくうちに、これまでにないくらいに物理的なイメージがはっきりし、数学的な理解も深まりました。

 

ですが、Perplexityが時々やらかす間違いを今回もしていました。

当初、Perplexityは「相対論的ドップラー効果により、前方の光景は星々の光が青方偏移を起こして通常は目に見えない紫外線やⅩ線までもが可視光として見え、後方の星々は赤方偏移を起こして通常は赤外線として見えないはずの光まで可視光になっている」と回答していました。

これは明らかに間違っているので、それを指摘したところ、こんな感じで訂正してきました。

 

詩の中に、

 

前方に青く輝く未来

後方に赤く染まる過去

 

というくだりがありますが、おそらくこれは、電磁波の偏移について間違いを指摘したことが関係しているかと。

他の文言も、もしかしたら、一連のプロンプトと回答という「対話」の結果生み出されたのかもしれません。

もっとも、Perplexityが言う通りオリジナルであればの話ですが。

 

3ヶ月くらい前から、PerplexityというAIを使っているのですが、正直、その性能の高さに驚いています。

 

2年ほど前にChat-GPT3.5を少しいじったときは、かなり間違いが多く、情報も最新ではない上、ソースも記載されていないため仕事では使い物になりませんでした。

 

Perplexityは、ネット上にある最新の情報を素早く探し出し、ソースまで表示してくれるので、一部業務のアシスタントとして十分使えます。

「あの条文は○○税法の第何条だっけ?」とか「最新の税務申告ソフトのこの機能はどうやって使えばいいんだ?」といったような、いわば「探し物」に結構時間がかかっていました。

 

Perplexityくんは、そんな「探し物」を数秒で完遂してくれるので、かなり助かっています。

 

だいぶ長いこと、たまにある紹介以外には積極的に新規のお客様を取ろうとしてきませんでしたが、Perplexityくんの働きのおかげで新規のお客様を少しずつ獲得していっても大丈夫かな、といった心境に変わりつつあります。

 

参考までに、仕事とは直接関係ありませんが、2024年9月29日17:00時点でPerplexityに質問したこととその回答を載せておきます。

 

追記)

Perplexityに9時間前にしたのと同じ質問をしたら、回答が逆になりました。
自民党の人事の歴史の専門家ではない私には、どちらが正しいのか判断できません。

AIは非常に便利な道具ですが、常に疑ってみることが重要ですね。

30代の頃まで、「自分のふるさとはどこなんだろう?」と思うことがよくあった。 


 そもそも、ふるさとって何だろう?

 ここでは、子供の頃を過ごし、思い出すと懐かしく温かい気持ちになれる場所のことだとしよう。


小学2年生の2学期から5年生まで関東北部の小さな町に住み、小学6年生から中学2年生まで関西の城下町に住み、中学3年生から18歳までまた関東北部の小さな町で暮らした。

その10年間が自分の人生で一番辛い時期で、特に小学6年生のときに関西の城下町に移って以降は地獄だった。 

そのため、小学2年生の2学期から18歳まで過ごした場所がふるさとだとは到底思えない。


小学2年生の1学期までを振り返ると、まず生まれた場所は静岡市だった。 

私の両親の実家が静岡市で両親ともに静岡市で生まれ育った。 

そんな母が出産のため、静岡市の実家に帰省し静岡市の病院で私は生まれた。 1968年のことだった。

ただ、静岡市には1か月ほどしかいなかったので、赤ん坊だった私には当時の記憶は全くない。


生まれてから1か月ほど経って、当時両親が住んでいた兵庫県の芦屋市岩園町という所に私は移った。 

芦屋市岩園町には1歳半まで住んでいたが、幼なすぎて全く記憶がない。 


1歳半のとき、父親の転勤で東京都大田区久が原という所に移り住んだ。 

幼少期の私は記憶力が非常に良く、2歳の頃からの出来事はほとんど覚えている。 

2歳の夜、耳の痛みと高熱のため親に抱きかかえられながら、土砂降りの雨の中、耳鼻科に運び込まれたこと。当時の中耳炎の治療はひどく痛かったこと。

近所の子どもたちと遊んだり、けんかをしたりしたこと。 

池上本門寺で鳩にエサを与えたりしたこと。 

3歳のとき、同い年の近所のY子ちゃんという女の子と周囲の大人たちに「将来、結婚するんだ」と二人揃って言って驚かせたりしたこと。 

そして、Y子ちゃんとはある夕方2人で手を繋ぎながら家とは反対の方向に歩いて行って迷子になり、巡回中のパトカーに乗せられ池上警察署で保護され、第二京浜を挟んで道路の反対側で自分の母親、Y子ちゃんの母親、近所の大人たちが手を振っていたこと。

他にも多くの出来事をはっきり覚えている。

ちなみに、結婚の意味も分からず、2人で「将来、結婚するんだ」と言っていたY子ちゃん一家は、転勤で余所へ引っ越して行った。 

そして、4歳のとき、私も父親の転勤で大田区久が原から三鷹市上連雀に引っ越した。 


 三鷹の幼稚園はあまり良くなかったが、近所の子供たちとじきに友達になっていった。 

三鷹市立南浦小学校に入学してからは、学校でも友達が増えていき、毎日暗くなるまで遊んでいた。

当時の自分は、男の子からも女の子からも好かれていたように思う。 

とりわけ、近所の女の子たちがなぜか私の周りにばかり集まってきていた。 

「モテ期」という言葉があるが、人生最大の「モテ期」だった。 

とりわけ、2歳年下のRちゃんという女の子とは外で遊ぶだけでなく、頻繁にお互いの家を行き来していた。

Rちゃんは自分を慕ってくれ、自分もRちゃんといると楽しかった。心が繋がっている感じがした。 

もし小学2年生のときに関東北部の小さな町に引っ越していなかったら、Rちゃんは運命の人になっていたかもしれない、と今でもたまに思う。 


冒頭で、(ふるさととは)子供の頃を過ごし思い出すと懐かしく温かい気持ちになれる場所のことだとしようと述べたが、大田区久が原と三鷹市がまさにそれに当たる。 


30代の頃まで自分のふるさとはどこなんだろうと思うことがあったが、今では、大田区久が原と三鷹市上連雀こそが自分のふるさとであり、大田区と三鷹市の両方に接している世田谷区は、まさにその両方の要素を兼ね備えた場所だと実感している。 


 2011年に千葉の九十九里浜の近くから世田谷区に引っ越して来たのだが、当初は全く新しい土地に住み始めたと思っていた。 

あれから13年が経つが、大田区久が原と三鷹市の両方の要素を持つ世田谷区に移ったことは、ふるさとへの帰還だったのだと心底思うようになった。


5ヶ月ぶりの更新です。


4月10日に東京税理士会の支部対抗野球大会があり参加してきました。 

 玉川支部(私の所属支部)は、税理士が289人いるのですが、会務や会のイベントに参加しているのは、たぶん1割もいません。 

 野球大会の参加者もいつも少ないのですが、昨日はちょうど9人いたので、不戦敗にはなりませんでした。

 今年から新しい青と白を基調としたユニフォームに変わり、新鮮な気分で試合に臨みました。 


 私は外野を守っていたのですが・・・、ピッチャーもバッターも他の野手もみんな2人ずつ見えることに気付きました。

飛んでいるボールも2個に見えます。

試みに、片目を瞑ると選手は1人、飛んでいるボールも1個に見えます。反対の片目を瞑っても同様。 


 去年の7月と9月の大会のときは、こんなことはなかったのですが、今ではなぜこんなことに? 

 思い当たるのはただ1つ、去年の10月から仕事の息抜きとしてロイヤルマッチというパズル系スマホゲームをするようになったことです。 

仕事の息抜きだけでなく、寝る前にも暗い部屋の中、このパズル系スマホゲームをするのが「日課」になっていました。 


 そんな半年余りを過ごした後、野球大会に参加して、目がとんでもないことになっていることにはじめて気付きました。

普段、すぐ近くの人や物を見て仕事をしているときには2人や2個に見えることはなかったので、目がこんなことになっていることに全く気付きませんでした。


これを機に、寝る前にスマホゲームをするのはやめることにしました。

息抜きとしてもあまりしないでしょう。 


たまにスポーツをすると、普段気付かなかったことに気付けますね。 


税理士会の野球大会は年に数日しかないので、これからはなるべく毎回出るようにします。 

これからスマホゲームを控えてみて、選手が2人ずつ、ボールも2個ずつ見える状態がどの程度改善されているか、次の大会で確かめてみようと思います。

ちなみに、次の大会は9月です。