『世間と社会』
いよいよ今年最後の独り言になりました
1年間何の独り言をつぶやいて来たのだろうと思い起こしてみました。気に入ったつぶやきも有ったし、これは何
という様なつぶやきも有りました。
周りの同年配の人の行動を観察してみると、ブツブツと独り言をつぶやいている人って結構見かけますね。私の場合はこの紙面上のつぶやきだけで、独り言をブツブツ言っていないと思いますが![]()
さて、世間と社会。私達にとって世間とは何でしょうか?かつてテレビドラマシリーズで「渡る世間は鬼ばかり」というヒット作品が有りました。ことわざ「渡る世間に鬼はいない」をもじった、とかく人間関係では苦労させられるというぼやきの意味合いを込めたタイトルでした。では私達の世間ではどうなんでしょうか
日本の会社には「年功序列」と「終身雇用」と言う欧米社会には無い特徴がありました。と過去形で書くのは今の日本ではこの制度が大きく崩れて行っているからです。学校の体育会系クラブでは「先輩後輩」の年功序列はまだまだ根強く残っていますがね。
次に特徴的なものは、お中元やお歳暮に代表される日本独特の贈物のやり取りをする習慣です。贈物を頂いたら、必ず御返しをするという行動は同じ世間で生きていることの表れでしょう。欧米社会ではあり得ません。
さらに特徴的な行動に電車の中でみかける、席取りの光景、先に乗り込んだおばちゃんが、「○○さん、ここ
ここ
」と叫んでいる姿。見事に差別的で排他的な行動、これもおばちゃんの世間を守る為の行動です。
そして最後に世間にはその世間特有の神秘性がある事です。我が社には我が社にしか通じないしきたりや仕組みが有りますね。我々は長年慣れ親しんでいるので、なんとも思っていない事が、新入社員や外部の人が見たら、えー
と思うような事も無いでしょうか?中国の実習生が来ていますが、一度尋ねてみましょう
面白い答えが出て来るかもしれません。
このように日本は小さな島国と言う限られた空間の中で成り立っていますから、必然的にこうなってしまったのでしょうが、同じ価値観である世間で生きる事が前提になっています。欧米社会では、このような世間という概念は有りません。社会が唯一自分と周囲とを結ぶ存在です。しかし、今の日本にはその世間が希薄になっている事も事実です。世間と社会が融合した新しい日本特有の形が出来てくるでしょう。
今年最後の独り言でした。1年間私のつぶやきにお付き合い頂きありがとうございました![]()
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