昭和時代のNHKの名物アナウンサーの鈴木健二さん(95)が、3月29日に老衰で亡くなったそうです。

鈴木さんの逝去について、2024年4月4日付のスポニチAnnexが、

『元NHKアナ・鈴木健二さん死去 名セリフ残す「私に1分ください」「知るは楽しみなりと申しまして」』

という見出しの記事を報じてました。

以下にこの記事を要約し、鈴木さんの思い出を綴ってみました。

 

《記事の要約》

元NHKアナウンサーで、「クイズ面白ゼミナール」の司会やベストセラー「気くばりのすすめ」の著者としても知られる鈴木健二さんが2024年3月29日、95歳で老衰のため亡くなりました。

東京都出身の鈴木さんは、1952年に東北大学を卒業後、画家を目指していましたが、友人の勧めで受験したNHKの採用試験に合格し、アナウンサーとしてのキャリアをスタートさせました。

熊本放送局への初配属を経て、1960年頃からは東京でドキュメンタリー番組のナレーションや東海道新幹線全線開通前の生中継、アポロ11号の月面着陸特別番組の司会を務め、注目を集めました。

 

1966年には主婦層向け番組「こんにちは奥さん」の司会を務め、人気を博し、1969年にはその功績でギャラクシー賞を受賞しました。1981年スタートの「クイズ面白ゼミナール」では、知識を楽しく学ぶことの重要性を訴える「主任教授役」として登場し、番組を代表する存在となりました。この番組は、クイズ番組史上最高の視聴率42.2%を記録し、今もなおその記録は破られていません。

 

また、1983年から3年間は「NHK紅白歌合戦」の白組司会を担当。1984年の紅白では、引退宣言をした都はるみさんのアンコールを涙ながらに要請するシーンを演出し、「私に1分間時間をください」という言葉は流行語にもなりました。鈴木さんの死去に際して、葬儀は近親者のみで行われました。長年にわたり、テレビを通じて多くの人々に影響を与えた鈴木健二さんの功績は、多くの人々の記憶に残り続けるでしょう。

(記事の要約、ここまで)

 

振り返ると、私自身が、鈴木アナの存在をしっかり認識したのは、1978年から放送された「歴史への招待」です。

当時、私は小学校5年生で、この年の放送していたNHK大河ドラマは『黄金の日日』。

歴史に興味を持っていた頃で、大河ドラマの視聴習慣が始まったのと同時に、「歴史への招待」はお気に入りの番組でした。

一般的に、鈴木アナが、ブレイクしたのは、1981年から始まった「クイズ面白ゼミナール」の「主任教授役」です。

子供心に凄いな、と思ったのは、台本が全て頭に入っていて、カンペを読む動作がまったくなく、そして、話が分かりやすいことでした。

現代で例えれば、元NHK記者の池上彰さんのような分かりやすい話し方なので、年齢を問わず、多くに視聴者に指示されたのだと思います。

 

鈴木さんの著作も「気くばりのすすめ」はもちろん、「ビックマン愚行録」などエッセイも、よく宿題や受験勉強をサボって読みあさって、「学生時代や社会人になったらこんなことしてみたい」といったイメージを膨らませていました。

今思えば、残念だったのは、鈴木さんがNHKを1988年に退職されたあとに、「熊本県立劇場の館長」に就任されたり、1998年に「青森県立図書館および青森近代文学館の館長」に就任されたときに、現地を訪問すればよかったなぁ、と思います。

鈴木健二さんのご冥福をお祈りいたします。

 

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