高校野球の名門校、千葉県習志野市立習志野高等学校を選手と監督として、夏の甲子園で2回の優勝した名将、石井好博氏(現東葉高校野球部監督)が2023年11月26日に亡くなった。
各メディアの記事を以下に要約しました。
《メディア情報の要約》
千葉県習志野市立習志野高校の元監督、石井好博氏が亡くなったことが27日に明らかになりました。
享年74歳。26日に千葉県内で開催された少年野球大会に参加していた際、体調を崩し病院に搬送された後、亡くなったとのことです。
石井氏は1967年夏の全国高校野球選手権大会で習志野高校のエースとして活躍し、チームを県勢初の全国制覇へと導きました。
その後、早稲田大学を卒業し、母校の監督に就任。1975年夏には小川淳司(現東京ヤクルトスワローズGM)を擁するチームを率いて再び全国優勝を果たしました。
選手としても指揮官としても、習志野高校を日本一に導いた功績を残しています。
(要約、ここまで)
つまり、石井氏は、夏の甲子園大会で、18才の選手、26才の監督として、優勝しました。
今後、選手と監督として、同じ高校で優勝する方はいると思いますが、「26才」という若さで選手と監督での優勝経験をする方は、なかなか出てこないのではないかと思います。
個人的ですが、私が、スポーツの中でも「野球好き」になったのは、1974年の夏の甲子園で千葉県代表の銚子商業が初優勝、その年の秋に、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が、巨人の10連覇を阻止した中日ドラゴンズを破って日本一、1975年の夏の甲子園で習志野が千葉県勢として2年連続優勝したことが要因です。
当時、私は、千葉県内の小学校1年、2年生でしたが、学校内(男子)でも千葉県勢甲子園2連覇は、盛り上がっていました。
当時の千葉県の小中学生の野球少年は、銚子商業の土屋投手、習志野の小川投手の投球フォームをみんな、一度は真似したのではないかと思います。
石井監督の直接の死因は、報じられていませんが、ご冥福をお祈りします。
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