2021年3月31日に、大相撲の照ノ富士関が「大関復帰」を果たしました。
今回の「大関復帰」は、「大相撲史上2例目」の珍しい出来事です。
それは、
『大関だった力士が平幕以下に陥落して大関復帰を果たしたから』
なのです。
「大関昇進」と「特例による大関復帰」の基準をおさらいしておきます。
《大関昇進》
・直前3場所の合計勝ち星が、33勝
・ただし、相撲内容やその時の大関の人数など状況による
《特例による大関復帰》
・大関陥落直後の場所で10勝以上
今回の照ノ富士の大関復帰は、前者のケースに相当します。
ちなみに、1例目は、1977年1月場所で11勝をあげ、直前3場所合計で36勝に到達した魁傑関(元放駒理事長)です。
魁傑関が「特例で大関復帰」を目指したのは、1976年1月場所(7勝8敗)で、その6場所後に「大関復帰」を果たしました。
一方、照ノ富士関は、2017年11月場所に「特例で大関復帰」を目指しましたが、復帰がかなわず(5敗10休)、その後、序二段まで番付を落とし、今回(2021年3月場所)の大関復帰なので、復帰まで3年5ヶ月要したことも特筆されます。
なお、「特例による大関復帰」は、これまでに、7例6人(三重ノ海、貴ノ浪、武双山、栃東(2回)、栃ノ心、貴景勝)います。
直前3場所合計が「33勝」に到達しながら「大関復帰」を果たせなかったのは、雅山関です。
雅山関は、2002年1月場所が「大関復帰の特例場所」でしたが、全休します。
復帰のチャンスが訪れたのは、2006年の7月場所です。
直前3場所で34勝(3月場所10勝、5月場所14勝、7月場所10勝)をあげましたが、この時は、「5大関時代」だったためか、不運にも大関に推挙されませんでした。
横綱や大関への推挙は、基準としてはあいまいな、相撲内容や世間の待望論などに左右されるので、あとあと振り返ると「不運」としか言いようがありません。
さて、照ノ富士関ですが、この1年の取り組みを見る限り「横綱も目指せる」期待があります。
「大関から陥落して横綱になった事例」は、「三重ノ海関」の1例のみですから、横綱になれば、史上2例目です。
ポイントとなるのは、照ノ富士関の「膝の状態」です。
柔道技のように、膝を直接攻める技は、大相撲ではあまりありませんが、痛めた膝が「以前よりよくなること」は、ほぼ無いと言われています。
したがって、どれだけ、今の状態をキープするかが、「横綱挑戦への鍵」ですが、年齢が29才なので、「加齢による馬力の衰えとの闘い」という問題もあります。
馬力勝負だけで無い、技能的な老獪な相撲をとることができるかどうかが、照ノ富士関が、横綱になれるかどうかのポイントでしょう。
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