少し旧聞に属する話題ですが、2020年11月24日に、土浦一高、取手二高、常総学院の野球部監督を務めた木内幸男氏(89)が肺がんで亡くなった。

 

報道では、2020年9月に肺がんが見つかり、木内氏は、「やり残したことはない」と抗がん剤治療を断ったそうで、10月に入ると声を出すのも難しくなっていたそうです。

入院前日に自宅を訪れた教え子の島田直也氏(常総学院監督)や仁志敏久氏(DeNA2軍監督)には、「絞り出すように言葉を掛けていた」というから、最後まで、教え子たちのことが気になっていたのでしょう。

 

木内監督は、生前から、

・こどもが好き

・野球が好き

・勝つのが好き

と「3つの好きがこうじたの自分だ」、というような自己紹介をされていた印象があります。

つまり、ずっと野球と関われて、甲子園に春夏併せて3度の優勝と1度の準優勝、プロ野球で活躍した選手も数多い・・・俺の人生最高だった、本当にありがとう!という思いで天国に旅立ったのでしょう。

 

木内監督は、3つの高校で監督を務めましたが、自身が監督をされているときに甲子園に出場したのは、取手二高と常総学院です。

土浦一高は、木内監督が退任した翌年(1957年)に元阪神監督の安藤統男氏らが甲子園出場を果たしているので、強豪校の下地を木内監督が作ったといっても過言ではないでしょう。

 

個人的には、私が高校2年生の時の夏の甲子園大会決勝戦の取手二高VSPL学園高の決勝戦が思い出深いです。

この試合は、延長戦に突入し、8-4で取手二高が初優勝(茨城県勢初)したのですが、当時の新聞は「PL学園敗れる」と主役は、あくまでもKKコンビ(桑田清原)を擁するPL学園でした。

11月29日のTBSサンデーモーニングにリモートで出演した桑田真澄氏は、「当時の高校野球はグラウンドでは歯を見せてはいけない(要は笑顔を見せてはいけない)という文化があったが、木内監督は、選手がミスをしてもいつもニコニコしていたのが印象的だった」と語っていました。

桑田氏ではないですが、私が印象深いのも、まさにこれで、「選手がグラウンドで萎縮することなく野球を楽しんでいる」と映ったのです。

 

マスメディアは、木内監督のこの指導方法を「のびのび野球」と名付けていました。

木内監督の「のびのび野球」とは、「好き勝手とは違い、必死に頑張った選手のみが(のびのび野球を)許される」ものなのです。

つまり、単なる「指示待ち」ではなく「監督の指示に対して自分の考えもある自主性を育む」指導スタイルだったのでしょう。

おそらく、「基礎がない」あるいは「やる前」から自己主張をする選手には、「自分の考えを主張するのは頑張ってからじゃないとだめ」と厳しかったのでしょう。

 

コロナ禍で201年春の選抜開催が不透明ですが、おそらく常総学院は、関東地区代表として選抜されるでしょう。

現在の監督は、木内監督が常総学院に移ってから甲子園に初出場し、準優勝投手となった島田直也氏。

教え子の晴れの舞台を木内監督は天国で見るのでしょう。

木内幸男監督のご冥福をお祈りします。

 

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