ISOマネジメントシステムの審査やコンサルティングに従事している仕事仲間が集まって雑談していると「日常の出来事をISO規格にあてはめる」ことをよくします。
例えば、仕事仲間4~5人で、定食屋でランチを食べているとします。
その定食屋さんは、年配の大将と女将さんで切り盛りしているお店。
女将は、注文を取る時、メモも持たず、席に付いた客に向かって「注文は?」と聞きます。
客が、次々に、俺は「サバの味噌煮」、私は「さんまの焼き魚」・・・「アジフライ」、「ミックスフライ」、「ぶり大根」・・・と矢継ぎ早にオーダーします。
うちらの仲間内では、「メモも持たずに注文を取っていたけど、間違えないで持ってくるかな?」という話になります。
結果的には、「ミックスフライではなくアジフライが運ばれてくる」といった間違いがあるのですが。。。。。(笑)
そんな時に、仲間内では、「ファーストフードに行くと客が注文を店員に伝えた後、“ご注文を繰り返します”っていうけど、あれは、“顧客要求事項の確認”だよね」とISO規格にあてはめた話題になるのです。
こうした「ISO規格で例えると・・・」という行為を私は「規格への位置づけゲーム」と呼んでいます。
つまり、日常の出来事を常に「この人の役割とアウトプットは何?」、「このお店のサービスとは?」といったことに思考を巡らせて「規格で捉えるとどこに位置づけることが妥当なのか」を常に考えている。
こうすることで、この仕事には「何が足りていて、何が不足しているのか」を自分なりに考えることができる。
これは私の頭の中では日々実践しているトレーニングである。
例えば「割引チケット」をもらったのでそれを使って買い物をしようとしたときに店員さんに「これ使えませんよ」と言われたとする。
実際はその割引チケットは系列店が発行したものなのであるが、他の系列店でも使用できる割引チケットであった。
この時に、
「割引チケットの知識は店員に教育されていたのだろうか?」
と誰しもが思うだろう。
ISO規格で位置づけると「力量」や「認識」に相当する。
この要求では「従業員に対する必要な力量を定めて、不足しているならば教育またはその他の処置をとる」ことが規定されている。
すると、
1)割引チケットの知識は店員に必要な知識とされていたのか
2)必要な知識とされているならば教育されていたのか
3)教育されていたのに知らなかったのであれば、その教育は有効性がある方法だったのだろうか
などが疑問として残る。
その他にも、
a)街で宣伝広告を配っていれば
⇒規格では「顧客コミュニケーション」
b)試供品のアンケートをしていれば
⇒規格では「設計開発の妥当性確認」
c)約束の期日に商品が届かなかったならば
⇒規格では「製造およびサービス提供の管理」
d)不良品が以前にもあって連絡したのに、また発生したならば
⇒規格では「是正処置」
e)経営者がコンプライアンス違反をしたニュースを見たら
⇒規格では「経営者のコミットメント」、「順守評価」
こんな感じで、社内外で接した仕事を規格の要求に当てはめるのであるゲームを頭の中でいつも実施している。
ビジネススキルの高い人は、こういった「ゲーム」をしなくても当然正確な仕事には何が必要で何が欠落しているのか身についている意識である。
しかし、凡人にとって今までの経験や勘という経験則だけで、仕事に必要な基本姿勢を見落とし無く実践していくことは難しい。
そういった点でISO規格は仕事に必要な基本的なことが規定され日常の行動規範を示唆してくれている。
「規格への位置づけゲーム」は有効で効果的な「ISO思考会得」の方法なのである。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ684号より)
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