2020年2月11日にスマホに新着ニュースが飛び込んできました。
画面を見ると、「野村克也さん死去」。
一瞬、呆然としました。
なぜならば、3週間ほど前に、前人未到の通算400勝投手の金田正一氏のお別れの会の映像で拝見したばかりだったからです。
その後、各メディアのニュースを追いかけると、2月11日未明に病院に搬送され、蘇生がされましたが、そのまま午前3時30分に帰らぬ人となったそうです。
死因は、虚血性心不全。
奇しくも、2017年12月8日に亡くなった妻の野村沙知代さんの死因と同じです。
おしどり夫婦は、とかく、どちらか片方が亡くなると、残された方も気力を失い亡くなるのが世の常ですが、沙知代さんが亡くなって、約2年2ヶ月後の旅立ちでした。
野村沙知代さんが亡くなった後のテレビのインタビューでは、「話す相手がいない」と寂しさ野感情を前面に押し出していましたので画面を通じて心配していましたが、先日の金田さんのお別れの会では、参列した盟友の長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督が「お互いに頑張ろう」と言われたと話していたことが報道されていたので、まだまだ、プロ野球界のご意見番として活躍して欲しかった、という気持ちもあります。
野村克也氏の野球人としての功績は、多くのメディアが報じているので、それに譲りますが、私が野村氏を知ったのは、小学校低学年の頃にまだ現役だった王貞治選手の子供向けの伝記「王貞治物語」の中でした。
王貞治氏は、1973年、1974年の2回、三冠王に輝いています。王選手が三冠王を獲得するまで11年連続で本塁打王に輝き、その間、打点、または、打率との2冠王には、10回も獲得しています。
しかし、野村克也氏は、1965年に三冠王を獲得するのですが、実は、野村克也氏が打率(リーディングヒッター)で1位を獲得するのは、この年だけなのです。
つまり、三冠王に一発で輝いたわけです。
小学生の頃の私には、野村克也選手ってすごいな、王選手がなかなか取れなかった三冠王にすぐに輝いた人だ、としてこの伝記を読んで興味を持ちました。
その後、野村氏は45歳まで現役を続け、5歳若い王選手と同じ年(1980年)に現役を引退しました。
私の中で、解説者野村氏の思い出は、「野村スコープ」です。
捕手目線で配球を解説するのは、今では当たり前ですが、斬新でした。
野村克也氏の現役引退後の監督時代の印象が強い人にとっては「月見草じゃなくて、あなたも向日葵だ」と思うかもしれません。しかし、京都の野球では無名の峰山高校出身で、ハッタリでテストを受け契約金ゼロで入団したエピソードは、東京六大学のスターだった長嶋茂雄氏や甲子園の優勝投手として巨人に入団した王貞治氏のようなまぶしい選手に「負けるもんか」と野村氏は「反骨精神の塊」のような存在であったことは間違いありません。
それにしても、野村監督には、今年の高卒ルーキーの奥川恭伸投手、佐々木朗希投手の初登板を見てコメントして欲しかったし、五輪開催は最後になるかもしれない野球についてもボヤキ解説をして欲しかったです。
野村克也氏のご冥福を祈りたいと思います。
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