かなり古い話題で恐縮ですが、小泉内閣(2001~2006年)時代に「タウンミーティング 小泉内閣の国民対話」という場がありました。
ご存知の方も多いと思いますが、タウンミーティングの目的は、
・閣僚や有識者と一般市民が対話する
・閣僚との直接対話を通じて、市民が政策の形成に参加する機運を盛り上げる
というものでした。
しかし、実際には、
・教育基本法改正などをテーマに行われたタウンミーティングで“やらせ”があった
・内閣府が青森県教育庁を通じ、教育基本法改正に賛成する質問をするよう参加者に依頼した
・質問の原稿を作成した上、“やらせ”であることを悟られないよう質問方法を指示した
・別府のタウンミーティングでは、大分県教育委員会の職員4人が一般県民になりすました
・一般県民になりすました職員は、賛成の意見を述べていた
・全タウンミーティング中、15回のやらせ質問が行われた
・裁判員制度について議論された司法制度改革タウンミーティングでは6回のやらせがあった
・全71回で、参加者を確保するため、国や地方自治体などが、職員を大量動員していた
・タウンミーティングにおける質問者の一部に謝礼金が支払われていた
・入場者の中に問題を起こす者がいる場合、作為的に選別していた
といった「意図的な操作」がされていた問題です。
日本は「国民主権」、「民主主義」の国ですから、一般論としては、国民の多数派意見に従って、政治は運営されるべきものでしょう。
ただ、そこに至るまでの過程には、様々な意見があって、喧々諤々の議論をするのは当然であり、「反対意見を述べそうな人を入場者から排除する」、「謝礼を払って都合の良い質問をさせる」、「一般県民のふりをして質問させる」・・・という内閣のとった措置は、「異常」だといえます。
ただ、逆の主張をしますが、政府や自治体などでない「民間主催の講演会や集会」は、「主催者が誘導したい方向に進行するような会の企画や運営が必要」だと思います。
講演会や集会を開催する場合、主催者は、色々な思惑があると思います。
多くの場合は、「普及・推進」だと思いますが、「制度や製品の紹介」に終始する講演会では、あまり開催の意味がありません。
制度や製品など講演会の主題について、世の中にもっと普及させ、「本来こうあるべきだ」という主張やメッセージがなければ、その業界の話題として盛り上がりに欠けるし、普及・推進が促進することもないでしょう。
要は、多少、疑問や反論も出るような講演会や集会にしなければ、「単なる講演会」で終わってしまうのです。
少し、具体的に言えば、ある制度や製品の説明や予想されるQ&Aが完璧なテキストや資料が渡されていたら「ふ~ん」「なるほど」で終わりです。
だから、主催側は、質問があまり出ない場合は、質問を事前に用意したり、「質問者の仕込み」をして会を盛り上げ、「テーマに対する参加者の関心」を盛り上げるわけです。
こうしたことを企画して講演会を運営しないと「質問ありますか?」「ないようなので、次の話題に行きます」とメリハリのない会となって終わりです。
ある程度の参加者がいる規模の大きな会では、業界誌などメディアも取材に来ていますが、議論伯仲でなければ「〇〇の会が開催されました」という単なる記事で終わりです。
よく、講演会開催の「成功、失敗」を「参加者数」や「参加者アンケート」で評価している事例がありますが、本来はそれに加えて、「業界や世間に対するインパクト」、「制度や製品のその後の普及への貢献度」を評価すべきです。
しかし、事なかれ主義の人が会を催すと「無難に終了する」ことを求めがちです。
「講演会企画には会を進行する単なる段取りだけでなく、目的に沿った戦略が必要」ということを理解して開催して欲しいと思います。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ641号より)
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