2018年6月21日付のMBSニュースが、
「大阪の大学に所蔵されている史料が、弘法大師の直筆を写し取ったものである可能性が高いことがわかりました。そこには、本当に「筆の誤り」があるそうです」
という報道をしていました。
記事によると(記事を引用抜粋)
◆平安時代初期に、高野山を開いた弘法大師空海は、真言宗の祖として知られている
◆弘法大師は、、傑出した書家でもあった
◆素養の高さを示す新たな史料が今年、大阪で確認された
◆四天王寺大学に所蔵されていた「拓本」は、筆跡などから、弘法大師の直筆を版木で写し取ったものである可能性が高い
◆(嵯峨天皇に宛てた書簡に)天皇に関係する言葉の前で文字を空ける「闕字」という用法を忘れていた
◆「奉」という字をあわてて書き加えていた
◆七言詩なのに、8文字になっている句がひとつあった
と言ったことを報じていました。
専門家によると、
・(弘法大師は)即興で、下書きなしで書いている
・拓本では、一気に書き上げたとは思えない高度な技法を随所に見ることができる
・竜の爪のように先を尖らせる書き方、「龍爪」
・天皇に関係する言葉の上に文字が来ないようにあえて改行する「平出」
・同じ文字でも楷書体、行書体、草書体を使い分けている
そうです。
嵯峨天皇は、「書」に関心が高かったそうなので、弘法大師は、「通(ツウ)好み」の技法をきっと随所に織り込んだのでしょう。
弘法大師に限らず、文書を「直筆」で書いていた時代の人は、月並みですが、すごいと思います。
今は、「電子媒体で文書を書く」時代ですから、書き直しはし放題です。
依頼原稿を書く場合も、頭に浮かんだことを、とりあえず、パソコンでキーワードを書き出しておいて、後で構成考えながら、前後を入れ替えたり、文字を付け加えたりできます。
私が大学で卒業論文を書いた当時は、文書作成ソフトは「一太郎」全盛の時代でしたが、私より、5~6年先輩の卒論は、殆どが手書きで作成されており、もちろん、間違った箇所は、修正液などで処理はしていたと思いますが、それにしても、「清書」する時は大変だったんだろうな、と思います。
(絵画の世界に残っていますが、一般文書の世界では、「下書き」「清書」といった言葉も死語に近いですね)
弘法大師といえば、「弘法も筆の誤り」以外に、「弘法筆を選ばず」ということわざもあります。
これは、(ことわざ辞典より)
「能書家の弘法大師は、どんな筆であっても立派に書くことから、その道の名人や達人と呼ばれるような人は、道具や材料のことをとやかく言わず、見事に使いこなすということ」
「下手な者が道具や材料のせいにするのを戒めた言葉」
という意味になるそうです。
確かに「技術論」で考えれば、いくら、高価なバットやクラブを使ったとしても、「技術が創られ、自由自在に使える段階」に到達していなければ、結果はでません。
私自身も、幼少のころに「弘法筆を選ばず」という言葉を親か学校の先生に教え込まれていたので、その後、習い事で通った「絵画」「ピアノ」「書道」「剣道」や当時の小学生スポーツの定番である「野球やソフトボール」をする際にも「いい道具は上手くなってから買ってもらおう」と信じ込んでいました。
ただ、大学、社会人とスポーツをするうちに「弘法筆を選ばずって必ずそうといえるの??」と徐々に疑問がわいてきました。
要は「道具(形)から入る」というやつです。
「形から入る」は、
・外見や格好
・活動
に主眼を置いた、「オレ、やってますよ」というファッション的なことを指すときに使われます。「活動」だけの人は置いておくとして、「どうせやるなら、しっかりしたメーカーの道具を買って始める」という発想でスポーツを始めたばかりの人の成長速度が早いことに気づいたのです。
アーチェリーやスキーといった「道具」を使うスポーツの場合、道具自体の形状や素材がどんどん進化しており、一昔前の道具を使っていると、結果が全然でないわけです。
私の場合、「道具を使うスポーツに言えることであって、陸上など肉体中心のスポーツでは関係ない」と考え、ランニングを始めた時も、最初は、「わざわざランニングシューズを買うまでもない」と勝手に考え、「デッキシューズ」のような普段履きのシューズで走っていました。
すると、すぐに血豆や爪が死ぬなど「足のトラブル」に悩まされるようになりました。
知人に紹介されたランニングシューズの専門店に行って、足のトラブルに関する悩みを相談すると
「ありがさん、考えが間違っている。確かに走れるからだができていないのに、シューズで速くなることはないけど、ちゃんとした練習を積むためにも、からだに合った専用のシューズを履くことは大事なんですよ。弘法は筆を選ぶんです」
とズバリ言われてしまいました。
技術の低さを道具のせいにするのは、ダメですが、「技術レベルとからだに合わせた道具を使う」というのは、上達論としては、当たり前のことですね。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ599号より)
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