タレントの萩本欽一さん(78)が、2015年に社会人入試で入学していた駒澤大学を自主退学したそうです。
2019年6月6日に報道があり、萩本さんが週刊文春で連載しているコラム(2019年6月13日号)を購入して読んでみました。
萩本さんのコラムによると、
・萩本さんは、現在、駒澤大学仏教学部の5回生
・卒業するための単位はかなり足りない
・入学後は「笑いと仏教」というテーマで卒論を書きたかった
・卒論の構想は半分ぐらいできていたけど、卒業に必要な科目登録しないと卒論が書けない
・卒論が書けないとなると今年、やることがなくなる
・4年間で「勉強の頭」になってしまいアドリブコントを作る頭に切り替わらない
・欽ちゃんにとって笑とはひらめき
・大学生活を楽しむための工夫は、百点を取れる分だけ講義を受けて全て「S」を取ること
・笑いを真剣にやろうとしたら試験やレポートについて考えることができない
・単位や卒業のために手抜きをするのは大学生活が面白くなくなる
・卒業を一番に考えないやり方がぼく(欽ちゃん)にはあっていた
・・・
というようなことが書いてありました。
コラムのタイトルが「欽ちゃんのボケないキャンパス珍道中」だし、社会人入試を受ける際の受験科目が「英語、小論文、面接」で家庭教師をつけて英語を学んでいたエピソードを披露していたから、世間の多くの人は「せっかく入学したのだから卒業して欲しい」と思っているでしょうし、私ももちろんそう思っていたので、「自主退学」は残念です。
ただ、厳しい言い方をすれば、ある一定の単位を取得しないと「卒論」が書けないことは入学前からわかっていたこと。
・卒業や卒論を書くために単位を取るような「手抜き」はしたくない
・全て百点(S)がとれる分しか講義を取りたくない
・お笑い芸人としての「ひらめき」を失いたくない
は、相反していることなので、この時点で、卒業も卒論を書くことも無理なわけです。
優先順位の上位が、
「ひらめきを失いたくないけど、卒論は書きたい」
だったら、少しは自分の気持ちにうそをついて「妥協するしかない」のです。
個人的には、「笑いと仏教」というテーマでの「欽ちゃんが書く論文」は読んでみたかったです。
確かに、仏教の教科書に「民衆の姿が殆ど出てこない」から「民衆の姿や言葉を仏教の歴史から拾い集めたい」、その手掛かりが「笑い」というのは、面白い視点で、ぜひ、調整して欲しかったと思います。
卒論は書くことができなかったけど、「論文」は、仏教関係の学会に投稿して認められれば専門誌に掲載されるので、ぜひ、やって欲しいと思います。
話は変わりますが、私の祖父の葬儀を執り行ったお寺の住職が駒澤大学の学長候補のひとりになっているそうです。
この住職は、町おこしのひとつとして、「五重塔建設構想」をぶち上げていて、賛否はともかくアイディアマンです。
「大学は自主性を重んじるところ」であることは、当然なのですが、「大学経営はビジネス」という点で考えれば、「欽ちゃんの要望」を叶えながら卒論を4年あるいは5年で書かせることは、しっかり欽ちゃんの「単位取得計画」をサポートする人が駒大側にいればできたはずです。
欽ちゃんは「単位はともかく卒論が書きたい」、大学側は「話題にもなってイメージアップ」という「利害」があったのですから、うまく折り合いを付ければよかったのにな、と思います。
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