平成最後の日となりました。
天皇さまの生前退位が決まったときに「今回の改元は天皇さまが亡くなるからではないから感傷的な気分になることはきっとないだろう」と想像していました。
日常生活では、西暦を使用する機会が増え、元号を日常生活で意識するのは「昭和(平成)何年生まれですか?」と人に尋ねる時ぐらいだったからです。
しかし、実際に平成最後の日を迎えると、テレビや新聞報道は「平成から令和へ」といった番組が増え、否が応でも改元を意識します。
自分のことになってしまいますが「昭和から平成」に変わったときは、大学生で、お正月休みの帰省から戻ったアパートで昭和天皇さまの崩御と小渕官房長官による「平成」に元号が変わった報を聞きました。
自分ではものごとの切り替えが早い方だ、と思っていますが、振り返ると平成5~6年ぐらいまでは、それまでの自分の生きてきた時代の期間が「昭和の方が圧倒的に長い」ので、まだ昭和時代を意識していました。また、平成天皇さまもまだお若く「昭和天皇さまの息子さん」という感覚が平成11~2年ぐらいまであったように思います。
つまり、私の中では、平成11年ぐらいまでは「天皇さま=昭和天皇」の印象の方が強かったのです。
私の中の印象では、東日本本大震災後の被災地訪問の天皇・皇后さまの表情が印象的です。
失礼な表現になってしまいますが、まさに国民に寄り添った天皇・皇后さまで、多くの国民がよりいっそう尊敬し、親しみを持った出来事だったと思います。
平成を振り返ると、世代的には、ギリギリバブル経済の最後を知る世代ですが、就職するのがやや遅かったので、万札を見せながらタクシーを拾う、というような経験はしていません。
ただ、当時は、今の時代よりコンプライアンスの概念が弱かったので、官官接待や利害関係が強い取引先との接待は当たり前で、終電がなくなるまで接待し、都内から千葉までタクシーを使って帰宅することもしばしばありました。
いまでは、週末前の金曜日といっても、公共交通機関がある時間帯に帰宅する人が増えましたが、当時の金曜夜は、終電後にタクシーを拾うのが本当に大変でした。
仕事に関しては、私が30前後の時は「転職は35歳限界説」がとびかっていて、振り返ると「組織を飛び出すなら今しかない」とやや強迫観念があったように思います。
「改元関係でやりたかったこと」を敢えてあげると「平成から令和にかけての旅行」。
しかし、「平成から令和へ」といった企画もののJRの切符はありますが、「平成31年4月〇日~令和元年5月〇日まで有効」と印字されるような切符はないんですよね。
平成の時代に、電子マネーが発達し、乗車券は感熱紙式の印字タイプが主流となり「硬券」の切符は、地方ローカル線にわずかに残る程度となってしまいましたし。
平成の時代は、あと13時間弱で終わりです。
令和の時代はどんな時代になるのだろう・・・と思います。
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