2018218日の夜は、平昌五輪日本選手団として2個目かつ2日連続の金メダル獲得に興奮した時間となりました。

 

17日は、男子フィギュアの羽生選手と宇野選手のワンツーフィニッシュに感動するとともに、違ったタイプのふたりのメンタルに驚かされました。

メディアの報道で、ふたりについては、言い尽くされているので、詳細は触れませんが、

◆右足ケガの治療により2か月間滑らなかった羽生選手の体形が全く変化せず維持されたこと

◆羽生選手は、故障中に解剖学など普段勉強していない必要な情報の文献を読み漁ったこと

◆羽生選手は、4回転のコンビネーションの失敗を単独の3回転予定をコンビに急遽切り替えたこと

◆宇野選手は、他の選手の演技を待っている間、見ていること

◆宇野選手は、羽生選手の点数を確認して、ベストの演技をすれば逆転できると確信して演技をを始めたこと

・・・

といった点が、試合後の二人については、印象に残りました。

種目は違いますが、スピードスケートの高木美帆選手も、前走した選手の結果を見ないタイプですし、トリノ五輪金メダリストの荒川静香さんによると、殆どの選手は、自分の演技に集中するために、前の選手の点数は見ないそうです。

見ることにより、妙なプレッシャーがかかり、平常心を失うことを避ける狙いがあると思いますが、宇野選手は、しっかり、前の選手の出来栄えを確認して計算して滑り出すところがすごいです。

 

結果論ですが、宇野選手は、「現在のプログラムでベストの滑りができれば逆転可能」と考え、冒頭の4回転フリップで転倒した時点で、「もう金はない、残りをしっかり滑って銀を獲ろう」と切り替えたわけですから、羽生選手やフェルナンデス選手の得点を知らなかったら、冒頭の4回転フリップを失敗しなかったんじゃないか、という声もあると思いますが、私は、宇野選手のいい意味での鈍感力というか、動じない精神力では、滑り終わった選手の得点を把握したうえで、演技をしたからこそ、銀メダルを獲得できたのではないかと思います。

 

それにしても、宇野選手のキスアンドクライでの銀メダルが決まった瞬間のきょとんとした表情は、きっとこれからの人生において、一生忘れないアスリートの表情のひとつになったと思います。

 

話が長くなりましたが、2日連続の金メダル獲得となった18日は、スピードスケート500メートル女子の小平選手です。

 

日本のスピードスケートのメダルの歴史を振り返ると、

1984年のサラエボ五輪で期待された黒岩彰選手がメダルを逃し、北沢選手が銀メダルを獲得して以降、

1988年のカルガリー五輪

→黒岩彰選手500mの銅

1992年のアルベールビル五輪

→黒岩敏幸選手500m銀、井上純一選手500m銅、宮部行範選手1000m銅、橋本聖子選手1500m

1994年のリレハンメル五輪

→堀井学選手500m銅、山本宏美選手5000m

1998年の長野五輪

→清水宏保選手500m金、1000m銅、岡崎朋美選手500m

2002年のソルトレークシティ五輪

→清水宏保選手500m

2010年のバンクーバー五輪

→長島圭一郎選手500m銀、加藤条治選手500m銅、女子チームパシュート銀

とスピードスケートでは、14個のメダルを獲得しており、日本の得意種目です。

 

しかし、今回の平昌五輪が始まるまで、メダルは14個ありますが、金メダルに限ると長野五輪の清水選手の1つのみ。

ですから、小平選手の金メダルは、なんと日本にとって20年ぶりなんですよね。

清水選手の金を獲得した時のガッツポーズの印象が強くあれから、20年も経過したことが月並みですが、信じられません。

 

ありふれた言葉ですが、好きこそものの上手なれ、という言葉が、小平選手にはぴったりはまります。

競技に出会う最初のきっかけは、親や地域特性などでしょうけれど、興味を深く持つ、負けず嫌いでやり続ける、という性格は、後天的な要素よりも、先天的な要素が大きいのかもしれません。

小平選手は、子供のころから何時間でも滑っていたそうです。

また、体育会系の環境で育ちながらも、監督やコーチに言われてやることよりも、自分で考えて納得したことしかやらなかったことも、成長スピードは遅くても、長年にわたって、モチベーションを切らさずに、技術も底が見えることなく成長し続けてこられた秘密かもしれません。

 

話はガラッと変わりますが、219日のニュースで、国内唯一のスケルトンの施設がある長野市のスパイラルが、2018年度から製氷を休止するそうです。

そり系種目としては、ボブスレー、スケルトン、リュージュがありますが、今回日本は、ボブスレーでは出場枠を獲得できず、リュージュは選手自体を平昌五輪に派遣していません。

一説には、これらの選手は、国内に100人未満らしいので、競技力向上以前に、新たに始める競技人口のすそ野は、衰退の一途でしょう。

冬季五輪では人気種目のジャンプやノルディック複合も、国内の競技人口は少ないそうですが、ジャンプ台は、各地にそれなりにあります。

しかし、1972年開催の札幌五輪の施設もほぼ廃墟と化しており、五輪開催地の札幌と長野でも、そり系競技に取り組んでいる人は、実態としては、どんどん先細りしているのでしょう。

 

「五輪種目だから国がもっと施設を整えて環境を整えて欲しい」と思う反面、衰退していってしまってもしょうがないのかな、と思います。

おそらく、日本以外の国でも、施設維持にコストがかかる割に、競技人口が少なく、テレビ中継などにもあまり適していない、という実情は、似たような状態なのではないでしょうか。

 

冬季五輪種目は、夏季五輪種目と比較して、もともと少ないので、競技人口が少なくても、なかなか除外種目の声が高まりませんが、近い将来、そういった声もそり系種目は、高まるのかもしれないですね。

 

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