「2018年」は、
◆明治維新から150年
◆西郷隆盛生誕190年(没後140年)
という現代の日本を作った歴史の節目の年になります。
たぶん、そういった「節目の年」を意識して、NHKの大河ドラマも「西郷(せご)どん」になったのでしょう。
「西郷どん」の原作者である林真理子氏によれば、鹿児島県に取材に行ったときに、今でも、地元で西郷隆盛が人気者であるエピソードに出会ったそうです。
西郷隆盛とともに薩摩藩出身で明治維新の功労者といえば、大久保利通がいます。
しかし、タクシー乗って、西郷隆盛と大久保利通のお墓に向かった時は、前者ではタクシー運転手がわざわざお墓まで車を降りて案内してくれたのに、後者は、車の中で待っていたそうです。
さて、ご存知の方も多いですが、西郷隆盛の座右の銘は「敬天愛人」です。
辞書で調べると、この意味は、
「天を敬い人を愛すること。「敬天」は天をおそれ敬うこと。「愛人」は人をいつくしみ愛すること。」
とあります。
つまり、
◆お天道様に見られても恥ずかしくない行いをする
◆身分に関係なく、どんな人にも分け隔てなく誠意をもって接すること
ということなのでしょう。
要は、
「誰も見ていないと思っても、お天道さまは必ず見ている。したがって、誰もいない時であっても行いを慎むこと」
ということでしょう。
実際、西郷隆盛は、家にいるときも、しっかり「正座」をしていたそうです。
うーん、とてもできません。
さすがに、「くだけ過ぎるのはまずいな」という席では、背筋を伸ばして、足を組まずにいますが、気心が知れた人ばかりだと、ビジネスの場でも、今の時代は、足を組んだり、要は、楽な姿勢になります。
もちろん、今の時代は、しっかりし過ぎていると「あいつはカタブツだ」と思われてしまいますので、限度は必要ですが、「お天道さまは常にみている」という心がけは大事かもしれません。
また、坂本龍馬は西郷隆盛について、
「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。大馬鹿にあらざれば大智者なり」
と評したそうです。
つまり、西郷隆盛は「相手の力量に応じた対応」をしたそうです。
とかく、教養があると「教養の鎧」をまとって、相手より「高い位置に立とう」とします。
しかし、西郷隆盛は、「高尚な話を持ち出す相手には高尚な話で対し、俗っぽい話題を好む相手には俗っぽい話題で応じた」そうです。
また、地位の違いによって、高い立場の人は横柄になりがちですが、西郷隆盛が下級武士出身だったせいか、そういうこともしなかったそうです。
こうした態度が、西郷隆盛が人々から愛されたゆえんかもしれません。
ただ、「相手の力量に応じた対応」というのは、とても難しいことです。
大相撲に例えれば、「横綱相撲」で、「相手の攻撃に受けて立っても勝てる」実力がないと成立しません。
私たちビジネスマンも、人心を得るためには「相手の力量に応じた対応力」が必要ですが、相手の価値観や思考回路を理解できないと対処できるものではありません。
それにしても、平均寿命が明治維新の頃は今より短かったとはいえ、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文・・・とみな、現代日本で考えれば、若者です。
西郷隆盛をはじめとした「人間力」をどうやって明治維新の獅子たちは身に付けたのか、現代社会やビジネスに生かせるところはないものか、興味が湧くところですね。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ575号より)
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