2018121日に、経済学者で評論家の西部邁さんが、多摩川で自殺を図り溺死した。

 

私が、西部氏の存在を知ったのは、1988年。

いわゆる「東大駒場騒動」の時である。

(注:中沢新一氏(当時は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手)を東京大学教養学部助教授に推薦し、委員会では通ったが教授会の採決で否決され、これに抗議して19883月に東京大学教養学部教授を辞任)

当時大学生だった私からしたら、「弁の立つ賢いおっさん」に見えましたが、今考えると当時の西部氏は「49歳」で今の私の年齢。

もっと貫禄ありありでした。

 

その後は、東大駒場騒動の「同志」の前東京都知事の舛添要一氏とよく「朝まで生テレビ」の論客として舌鋒をふるっていました。

「大学生は、社会・政治思想や主義主張を語り合うべき時代」と私自身は位置づけていたので、よく、学生時代の仲間と朝までテレビの討論を見ながら、議論したものでした。

 

話は脱線しますが、当時の「朝生」のパネリストには、西部邁氏や舛添要一氏の他に、西尾幹二氏(当時、電気通信大教授)、小林よしのり氏、大月隆寛氏(当時、東京外語大助手)、宮台真司氏(当時、東京都立大学助教授)、宮崎哲弥氏(評論家:アルターブレイン)、作家の野坂昭如氏、猪瀬直樹氏、映画監督の大島渚氏などがいましたが、彼らの繰り広げる議論にわくわくしたものでした。

当時は、私自身が、まだまだ世間知らずだったのかもしれませんが、今の「朝生」を見ても、まるで「わくわく感」がありません。

ひとことでいえば「テレビ局が選定するパネリスト」が「こつぶ」(軽量級)になった感は、否めません。

 

また、私の個人的意見ですが、パネリストが「誰かを気にして発言している」感じで、「俺は言いたいことを言うぞ」という一匹狼的な論客が減った気がします。

顕著なのが「政治家枠」。

常連の自民党の山本一太氏や片山さつき氏などは、「事情通」ではありますが、「党内の出世欲」がありまくるので、「奥歯にものが挟まった発言」ばかりが多く「あなたは本音ではどう思っているんだ」という発言がないので、面白くないのです。

大臣や政務官など行政府側の役職に就いていると、なかなか本音は喋れないかもしれないですが「一政治家として私はこう思う」とズバズバいえる人をパネリストに選ばなければ、討論がつまらないです。

 

話を西部氏に対する思い出に戻しますが、私が仕事の関係で、札幌での活動が増えた2002年以降に、西部氏が、札幌市内にある公立進学校のひとつ「札幌南高校」の出身であることを知りました。

Wikipediaネタですが、当時の西部氏は、重度の吃音で、高校を卒業するまで、マルクスもレーニンも毛沢東も知らない「ノンポリ」高校生だったそうです。

東京大学在学中に、自治会会長を務め、60年安保闘争に参加したというから、人は変わるものだと思います。

 

東京大学を辞めた後は、千葉県八千代市にある秀明大学(創立時は八千代国際大学)の「学頭」をされていたので、私が上梓した著作物を西部先生宛で贈ったことがありました。

(お返事はもちろん、反応ゼロでしたが。余談ですが、舛添氏、橋下徹氏、丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事元会長)などからは形式的な礼状が届きました。財部誠一氏からはメールで感想をいただきました。)

 

西部氏は、晩年は、病気を患っていたようで、テレビ出演する際は、手袋をされていました。

また、2014年に奥さまをなくされ、生きがいも徐々に失われていったのかもしれません。

そして、最新著書では、「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装で、実態は病院死」と指摘し、「生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくない」として「自裁死」を選択する可能性を示唆していたので、21日の多摩川入水は「計画通り」だったのかもしれません。

(第一回決行日は、2017年の衆院選の時だったようです)

 

ちなみに、通夜、葬儀、告別式は行わないそうで、西部さんらしいです。

「最近は、言いたいことがあっても、書かせてくれないし、取り上げてくれない」と嘆いていたようなので、「発言しても変わらない世の中」に対して「言論はむなしい」という虚無感もあったのでしょう。

月並ですが、西部氏のご冥福をお祈りしたいです。

 

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