相手に良い印象を与えるためには、「善意の誤解」が大きなポイントだとつくづく思います。
昭和初期の文芸評論家である「亀井勝一郎」のことば(名言)に、
『人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです』
があります。
このことば(名言)から、最近、パッと思いつくのが、2016年のノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン氏です。
私は、もちろん、彼の名前を知っていますが、特に大ファンということではないし、彼の歌に大感動した、ということもないので、世間で知られる一般的なことしか彼に対する理解はなく、深くはわかりません。
ただ、勝手なことをいえば、なんとなくですが、世間が捉える彼と実像は違う気がします。
つまり、歌詞の中に反戦主張など強烈なメッセージは本来はなく、思ったことや感じたことを謳いたいから歌にして歌っているだけだと思うのです。
要は、勝手に、世の中の多くの人が、「この歌詞には、ディラン氏のこういうメッセージがあるんだ」というように「善意の誤解」をしている気がします。
だから、ノーベル文学賞受賞後も、一切、受賞について語らないことから、「辞退するのではないか」とか「彼はシャイだから照れているだけ」とか、いろいろな解釈が飛び交っていますが、そういった反応をディラン氏は、ある意味楽しんでいるだけのように思います。
したがって、授賞式も、彼流のスタイルで、その時行きたいと感じれば行く、という感じのような気もしています。
「善意の誤解」ですが、ビジネス面でも、日常の友情や恋愛でも、人間関係は「善意の誤解の上に成立している」といえるでしょう。
私は、何度か転職しているので、よくわかりますが、採用面接でも、配属された職場でも、最初に「いい印象」を持ってもらえれば「善意の誤解」が生じて、仕事がやりやすくなった経験がたくさんあります。
例えば、最初に「彼は仕事に対して前向きな人だ」とか「時間にきっちりしている人だ」といったプラスのイメージを持ってもらえれば、多少、待ち合わせ時間に遅刻しても「人身事故で電車が遅れているんだろう」とか「善意に解釈」してもらえます。
要は、まわりが勝手にプラスイメージで、行動や言動について、深読みして善意に理解してくれます。
しかし、最初のイメージが「あの人、変わっているね」とか「見た目がちょっと胡散臭いよね」といった「マイナスイメージ」であると、こちらが一生懸命何かをしても、「悪意の誤解」から相手はこちらを見ているので、頑張ってもなかなか評価されません。
「善意の誤解」をしてもらうためには、月並みですが、とにかく「いい印象を最初に持ってもらう」ことが最重要事項ですね。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ513号より)
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