2017年7月8日のプレジデント(オンライン)が「大学の授業料が高騰する理由」を報じていました。
記事を要約すると、
◇国立大学の学費は16年間で6割増加している
◇国立大学の授業料は、1990年の33万9600円から53万5800円になった
◇入学希望者が入学定員を下回る状態の大学は増え続けており、「2018年問題」でさらに加速する可能性がある
◇「2018年問題」とは、下げ止まっていた18歳人口が再び減少に転じると予測されていること
◇大学の運営費は、国の「運営費交付金」がその多くを占めており、16年度で約44%
◇04年に国立大学が法人化され、受益者負担へと政策が転換されたため授業料は値上がりしている
という。
「約53万円」であれば、私立大学の半分程度ですから、まだまだ、現状では「国立大学への進学は親の負担を軽減すること」に変わりはありません。
しかし、国の「受益者負担の政策」は、どんどん加速しており、近い将来には、国立大学の授業料も年額で100万近くになるといわれ、国立大学進学の経済的メリットは、私立大学とほとんど差がなくなるようです。
記事では、「そもそも大学に進学する価値はあるのか」ということにも触れていました。
大学の価値を「就職後の金額的メリット」といわゆる「箔をつける」といった「非金銭的メリット」だとすれば、前者に関しては、超大手総合商社や証券会社といった「生涯収入が4~5億」にもなる「高給取り」以外の一般の大企業であれば、「生涯収入は3億ちょっと」になるが、大卒でも中小企業であれば、大企業の高卒採用者と生涯収入はほとんど変わらないどころか、むしろ大企業勤務の高卒者の方が多くなるという。
このことは、プレジデントの記事を読む以前から、感覚的には「大企業勤務者の高卒者の方が中小企業勤務の大卒者より生涯収入はきっと高額になるだろうな」と感じていました。
大企業勤務であれば、高卒者であっても、幹部職員には成れませんが、現状、容易に首を切られることはないですし、福利厚生も充実していますから、「経済面での心配」は少ないと思います。
私が大学に進学した頃は、高校や大学の先生からは「大学生というモラトリアム期を過ごすことで、高卒→就職では得られないものの見方ができるようになり有益」というようなことをよく言われました。
確かに、高校を卒業して、すぐに社会に飛び込むより、大学生活により大学の授業や研究、アルバイト、部活動、友達との議論、ぼーっと物事を考える・・・といった「仕事一直線」でない時間を過ごすことは、私の人生経験上も、「価値観や人生観を構築する上でもいい時間だった」と思っています。
しかし、私は、アルバイトは、夏休みや春休みなどの期間中以外はしなくても大学生活を過ごせましたが、今の時代、親の年収も実質下がっており、そのような恵まれた大学生活を過ごせる学生の割合は減っているでしょう。
また、私の頃は、友達のアパートに集まって、時として、政治や時事ネタ、後輩の育成方法、哲学といったことを議論する機会や突如、深夜にドライブに出かける、といった「学生時代にしか経験できない時間」がたくさんありました。
けれども、現役の学生に聞くと、今の学生は付き合い方も比較的ドライで、そういった時間はあまり過ごさないようなのです。
ただ、三流大学卒であっても、「大卒」という肩書は、人生において、「心のよりどころ」にはなります。
一流大学を卒業している女子には、「付き合う相手として相手にされない」という現実を目の当たりにするのは、私の場合、30代を過ぎてから気づきましたが、「マネジメント職」に就く上では、大学卒業は、転職する上でも応募条件のパスポートにはなりました。
しかし、私が今、高校生だったら、ふつうに大学に進学する道は選ばなかったかもしれません。
税理士や弁理士、社会保険労務士といった国家資格は、正規の国家試験を受験せずとも取得する方法があるので、そのような選択肢もあったかな、と思います。
話はガラッと変わりますが、2016年7月7日に亡くなった放送作家の永六輔さん(享年83)の孫(次女(元フジテレビアナ)の子供の拓実さん)が、現在、東大文学部在学中で、「大遺言 祖父・永六輔の今を生きる36の言葉」という本を上梓し、作家デビューしたという。
ニュース報道では、「(作家の道に)進めたらいいと思います。官僚? 何が面白いかわからない」と語ったといいます。
永六輔さんバリの辛口批評をする作家の道を邁進してほしいな、と思います。
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