先日、東京都の西部地区にある9年前に亡くなった叔父が住んでいた一軒家の清掃に行ってきました。

基本的には、庭と敷地境界線の雑草の除去です。

一軒家は、人が住んでいると、雑草がボーボーになることはありませんが、人が住まないとあっというまに雑草でおおわれてしまいます。

 

 

例年、2回(初夏と秋)、草刈りをするのですが、秋は、地元のシルバー人材にお任せすることが多いです。

今回、訪問してみると、ドクダミと西洋ヤマゴボウに庭が侵食されまくっていました。

一般的な雑草なら、根元から引っこ抜けますが、ドクダミや西洋ヤマゴボウが厄介なのは、「根こそぎ」抜けないことです。

前者は、ツルが伸びていて、表面の草は抜いたり、鎌で切り取れても、ツルが残ってしまいます。後者は、とにかく幹が太く、鎌も斧のように力強く振り落とさないと切れません。

また、幹は切れても、大きなスコップでタケノコ堀のように根っこを掘り起こさないと、残った根から、またニョキニョキと生えてきます。

 

 

叔父が住んでいたころは、この手の雑草は無かったはずですが、どこからやってきたのだろう??と思います。

 

 

家の中は、手を付けると、「大仕事」になるので、掃除機をかける程度ですが、ここ数年、悩まされているのが「ハクビシン」か「イエネズミ」らしきフンです。

フンは乾燥しているので、汚くはないのですが、掃除機で吸い込むと、小石を吸い込むときのようにフンがホースを通っていく時にバチバチ音がします。

それにしても、食べるものは何もないハズなのに、何を食べているのだろう??と思います。

(文具の「糊」(チューブ)をかじって穴が開いていましたので、きっと食べたのでしょう)

 

 

草刈りと室内清掃をした後は、「深大寺」に寄ってみました。

といっても、メインは「深大寺」より「深大寺そば」ですが。

東京都武蔵野地区に馴染みのある方なら、ご存知すぎる「深大寺」ですが、ちょっと紹介します。

 

 

(※調布観光ナビより引用編集)

「江戸時代、深大寺周辺の土地が、米の生産に向かないため、小作人はそばをつくり、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、深大寺そばの始まりと伝えられています。

 

 

 深大寺そばが有名になったのは、深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世公弁法親王が、深大寺そばを大変気に入り、まわりの人々をはじめ全国の諸大名にも深大寺そばのおいしさを言い広めたからのようです。

 

 

そのため、深大寺そばの名が高まり、多くの家から深大寺へそばの使者が立つほどになりましたので、深大寺そばは「献上そば」とも言われています。

また、別の説では、徳川第三代将軍家光が、鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って、そばを食べほめたからだとも言われています。

(引用ここまで)

 

 

私は一切記憶がありませんが、両親によると生後1歳ぐらいまで三鷹市に住んでいて、その時に乳母車(今のいい方だとベビーカーですね)に乗って、「深大寺」に来ているそうなので、約48年ぶりの訪問です。

 

 

深大寺と深大寺そばは、NHK朝ドラの「ゲゲゲの女房」でも何度か紹介されていたので、訪問してみたかった場所ですが、いい場所ですね。

まわりには、名門女子大の津田塾大や国立大の電気通信大学もあり、閑静な文教&住宅街地区で、お散歩には最適です。

 

 

深大寺に訪問すると、これまで重要文化財だった「銅造釈迦如来倚像」(通称白鳳仏)(推定で、飛鳥時代後期(7世紀後半)製作)が2017年の3月の文化審議会で文科大臣に国宝指定が答申されて国宝指定となったばかりで、ちょうど、拝観できました。

しかし、「花より団子」で、「おそばに舌鼓」を打った印象の方が大きく残っています。

(※おそばのお店は、テレビなどでよく紹介される「雀のお宿」を狙っていきましたが、店舗情報より2時間早く「閉店」の看板が出されていて、「湧水」さんにお邪魔しました)

また、機会を作って再訪してみようと思います。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ546号より)

 

 

 

 

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