2016年12月4日に、利用客の減少でJR留萌線の留萌 - 増毛間が廃止となった。
開業から95年だという。
鉄道路線の廃止といえば、毎度のことであるが、運行最終日は、満員となる。
運行最終日は、列車に「ありがとう〇〇線」と書かれたプレートが列車に飾られることが多く、駅は人であふれかえっていて、列車の前で記念撮影する人もたくさんいて、まともな写真が撮れないので、私は最終日に訪問したことは、確か、1984年に廃止された福島県の日中線ぐらいだと思う。
1987年4月1日に、国鉄が廃止され、JRが旅客6社と貨物1社の7社に分割された。
国鉄民営化の議論が進められたときに、国鉄廃止反対派の意見は、
◆全国に広がる鉄道網が分断される
◆将来的に赤字路線はどんどん切り捨てられる
といったものが多かった気がする。
鉄道網の分断に関しては、新幹線や寝台列車のように、複数のJR各社を通過する列車が、乗客目線で見れば、なんの不自由もなく運行しているから、当初心配したほどでもなかったのかもしれない。
ただ、細かい話になるが、北海道新幹線の開通により、札幌―青森間を走っていた寝台急行はまなすが廃止された。
北海道新幹線が開通されたといっても、新幹線と寝台列車の客層は少し違うから、はまなすを廃止する必要はなかった。
しかし、新幹線の開通で、青函トンネルを運行できる機関車は、JR貨物から借りることになり、費用対効果で「はまなす廃止」になったと聞いている。
そう考えると、これは国鉄分割民営化時に懸念された問題からの廃止であるといえるだろう。
鉄道の地方路線が、どんどん建設されたのは、大正時代から昭和初期で、この当時は、モータリゼーションの波がこれほど訪れるとは予想していなかっただろう。
また、当時の鉄道の役割は、旅客以外に、例えば石炭輸送など、いわゆる「炭鉱路線」といわれた鉄道もあった。
したがって、建設途中でその後の路線延伸が叶わず、バス路線への転換の方が明らかに効率的である場合や炭鉱閉山により、存在価値を失った盲腸線的路線は、確かに廃止されても仕方がない気がする。
しかし、JR北海道に例えれば、「輸送密度2000人未満」というわかりやすいが、非情な線引き基準で廃止されようとしている。
確かに、採算ベースで考えれば「輸送密度2000人」という基準はわかりやすいし、妥当な数字なのかもしれない。
しかし、鉄道路線は、地方都市と地方都市をつなぐことによって価値を持つ。
例えば、現在、札幌から稚内へは「スーパー宗谷」が走っている。
けれども、この「輸送密度2000人」では、名寄―稚内間は、輸送密度405人で、廃止になるという。
私は、札幌から稚内に出張する場合は、これまで95%以上スーパー宗谷利用である。
また、札幌から根室に行く場合、私は、6割ぐらいは鉄道を利用するが、「釧路―根室」も輸送密度436人で廃止対象となる。
それと、根室本線には、「滝川―富良野」もあるが、こちらも輸送密度460人で廃止が噂される。
確かに、かつては、札幌から釧路へは、滝川経由であったが石勝線の開通により、存在意義は薄れている。
しかし、代替路線としての鉄道網を「部分的な輸送密度」というもっともらしい数字で廃止されてしまうとしたら、残念でならない。
地方交付税交付金と同じように、JR系の鉄道網は、公共交通路線として、全国単位で、事業を本来考えるべきなのではないだろうか。
これが、地域毎に、JR各社で独立採算にしたら、当然、こうなることは自明である。
JR北海道には、民営化後、しばらくの間、補助金が支給されていた。
それが途絶えると、こうなる事態は予想できた。
もちろん、国鉄民営化論議の時は、膨れ上がった赤字やお上(おかみ)体質からの脱却という目的もあり、それは、JR各社のサービスレベルは格段と上がったことで目的を果たした。
しかし、自己責任論や効率重視で弱者が切り捨てられていくことは、なんだか、間違っているのではないかと思う。
話は飛ぶが、世界各国では、ナショナリズム志向や極右勢力が政権を奪取している。
行き過ぎたグローバルに対する反発であろう。
同じように、「自己責任論」や「効率一辺倒」の考え方について、国民の多くが「ちょっと違うんじゃない?」と考える人が少しずつ増えるような気がする。
【好評発売中!】
『ちょロジ ニュースで学ぶ7つの思考法』(パブラボ刊)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434176552/bloglogcom-22/ref=nosim/
【よかったらメルマガ読者登録お願いします♪】↓
(パソコンでアクセスしている方)