ノーベル文学賞の受賞者が発表されてから数日経ちましたが、全世界で、まだまだ受賞に対する議論は絶えないようですね。

「文学とは」「音楽の歌詞も文学といえるのか」というノーベル文学賞そのものの議論もあるが、ノーベル賞事務局がボブ・ディラン氏とコンタクトが取れず、ボブ・ディラン氏も公式には、まったく受賞に関してのコメントを発表していないため、なんとなく決着がつかないため、議論が続いているのだろう。

 

 

私の認識では、日本の場合は、文学は、和歌文化と密接なつながりがあり、また、日本人にとっては、ボブ・ディランの音楽自体に馴染があるため、欧米よりは比較的違和感なく、好意的にノーベル文学賞受賞を受け入れているように感じる。

 

 

当事者であるボブ・ディラン氏がコメントを出していないので、臆測の域になるが、一部のメディアが報じているように、もしかしたら、過去にノーベル文学賞の受賞を辞退したサルトルのように、ボブ・ディラン氏も受賞を辞退するのかもしれません。

 

 

その理由としては、

1)ボブ氏は、自分自身の作品を音楽として捉えていて、文学ではないと考えているため

2)ボブ氏の歌詞の内容が常にその時代の話題となるため歌詞カードをCDに付けていない点

3)反戦歌詞も多いボブ氏が、爆弾で得た富を基金としているノーベル賞に拒否反応がある

などが挙げられるでしょう。

 

 

個人的には、ノーベル賞について、平和賞と文学賞は、政治的側面が強い選考過程のような気がするし、むしろノーベル賞財団もそれを狙っていると思うので、誰もが「受賞して当然」という受賞はなかなかない性質のものなのかもしれないと思う、

 

 

ただ、今回のノーベル文学賞の選考で、ノーベル賞創設時の想定受賞領域の解釈はどんどん拡大して変わっていくと思います。

近年は、生理・医学賞と化学賞、物理学賞と化学賞の境目もあいまいになってきているといわれています。

 

 

私の勝手な予想ですが、精神医学の世界も世界的な発見や生理学的な解明がされれば、心理学者の生理学賞受賞も将来的にはあるのではないかと思います。

 

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