最近、音楽と縁遠くなった。
日常的に、音楽を積極的に聞かないし、歌謡番組も時間が合えば見る、という感じだから、流行歌もサビの部分しかわからない。
そういえば、カラオケも1年に1回、歌うかどうかです。
ただ、小学校2年生から中学校3年生までピアノを習っていたこともあり、小、中、高と音楽の成績は良かった。
ピアノの練習曲は、クラシックなので、中学生までは、自宅でクラシックのレコード(CD文化が主流になってきたのは、高校生以降です)がよく流れていて、どういう経緯だったのか覚えていないが、小学校や中学校の時は、オーケストラのコンサートにもよく出掛けた。
実家のある千葉県四街道市の「四街道市文化センター」が完成したのは、確か1981年か1982年だと思うが、当時、TBSで放送されていた「オーケストラがやってきた」(1972年~1983年)が、文化センターのこけら落とし行事となり、友人と公開録画を観に行った。
(会場で目立っていたのか、後日テレビ放送を見ると、客席にニコニコしていた私が大映しで放映されていました)
また、声量があり、音程が安定していたためか、音楽の授業で先生に独唱を褒められることが多く、人数が足りなかった中学の合唱部の助っ人要員として合唱コンクールに出たこともあった。
そんな感じで、昔は音楽と結構、関わった生活をしていたが、今ではさっぱりです。
話しは少し逸れますが、私は、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と先輩や後輩には著名人もいますが、身近な同級生で著名人になった人がほとんどいません。
少し前に、中学のプチ同窓会があり、同学年で誰が一番有名人か、という話になり、
その時でた結論は、「声楽家の弥勒忠史氏」が一番の著名人だね、ということになりました。
彼とは、前述した合唱部の助っ人仲間で、中学時代にYMO(イエローマジックオーケストラ)が流行っていた時に、よく音楽談義をした中でした。
音楽好きなのは、知っていましたが、高校は地元の進学校(普通科)で、大学進学で千葉大教育学部音楽科と聞いたときは、「中学や高校の音楽の先生になるんだろうなぁ」ぐらいのイメージで、その後、交流はありませんでした。
30歳を過ぎたころに、風の噂で、「東京芸大を卒業したらしいよ」という話を聞いて、びっくりした記憶があります。
私の記憶が正しければ、彼のお父さまは、都の職員でしたので、彼も教員になって安定した仕事を選ぶのだろう、と勝手に思っていたからです。
2015年には、四街道市文化センターで「凱旋コンサート」があったのですが、仕事の日程とかぶり、陣中見舞いができなかったのが残念でなりません。
現在は、声楽家としてでなく、舞台の演出活動もされているようなので、タイミングをはかって、鑑賞しに行きたいと思っています。
またまた、話しはそれますが、先日、仕事先で知り合った方の娘さんが、プロのヴィオラ奏者さまとお聞きしました。
公演活動もされているとお聞きし、約10年ぶりにクラックの演奏(Alto de Campagne(棚橋恭子/中村洋乃理/中村翔太郎/村田恵子):ヴィオラ4重奏)を聞いて来ようと思います。
http://okayama-sc.jp/oimf/2016/48.html
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