「挨拶」の最も重要な意義は「わたしは安全な仲間ですよ」をあらわすことだと思います。

話はそれますが、年末の風物詩であるNHKの「紅白歌合戦」の「紅白」は、源平の合戦の際に、平家が赤旗、源氏が白旗でお互いを区別したそうです。

忍者は、「山」といえば「川」という合言葉で、お互いを敵か味方か区別しますし、鳥類はくちばしを触れ合うことで、相手を仲間と認めるそうです。


つまり、「挨拶」は「わたしはあなたの敵ではありません、仲間ですよ」が本来の役割なのでしょう。

ビジネスの世界では、『挨拶』は、より大きな意味を成しています。

「挨拶が出来ない奴は使えない」

「挨拶が出来ない奴は仕事も出来ない」

といったことはよく耳にする言葉です。

実際、自分からは挨拶をしないのに相手には求める人や、挨拶が無かった事をいつまでも覚えている人はたくさんいます。


またまた話はずれますが、FacebookなどSNSで「お友達申請」というシステムがあります。

SNSは、設定を「全公開」にすれば、投稿記事がそのSNSに登録している人ならば誰でも閲覧できますが、設定を「友達」、あるいは「友達の友達」といったように限定すると、限定された範囲でしか記事は閲覧できません。

また、SNSを通じてのメッセージ機能も「送受信範囲」を「友達限定」すれば、「友達登録された人」の間でしかやり取りができないので、「ある相手と繋がりたい」場合は「友達申請」をするわけです。


「メッセージなし」の「友達申請」は言語道断ですが、「誰々さんと友達で・・・」と挨拶されれば、一般的には「友達申請」は断らないでしょう。

しかし、「友達承認」した後に「挨拶的メッセージ」がなかったり、その後1年以上も「個別のメッセージのやり取り」や「投稿記事になんの絡みもない」のであれば、要は「挨拶がない」のと一緒で、「いったいなんのために友達として繋がっていたいんだろう」とふつうは疑問に感じるでしょう。


以前、友達申請を受けて、リアルにお会いした時に、こちらは気づいたのですが、相手が私の前を素通りした時は「あれ??」という想いでした。

また、ある異業種交流会的なあつまりに呼ばれて、「ご無沙汰しております」と挨拶した時に「どちら様でしょうか?」といわれた時も興ざめしました。

SNSで繋がっていて、かつ、案内を送っている主催者なのに・・・。


話を戻しますが、このように、ビジネスの場合は、特に相手側に何かを買ってもらう立場であるので、挨拶一つ出来ない事が相手の感情を逆なでし、取引中止や出禁といった事態にまでなることもあるでしょう。

仕事の場において、「挨拶したくないからしない」は、よっぽど、挨拶しない側に「魅力」がない限り通用しません。


また、挨拶の基本姿勢は、「明朗闊達」で「誰に対しても同じ態度で、状況に応じた挨拶」ができることが大事です。

月並みな意見ですが、「こびへつらう」はまずいですが、目上の人、後輩問わず、誰に対しても腰が低く、丁寧な態度で挨拶をする人は社会人として信頼される人になる「基本中の基本」と肝に銘じるべきでしょう。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ431号より)


【好評発売中!】
『ちょロジ ニュースで学ぶ7
つの思考法』(パブラボ刊)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434176552/bloglogcom-22/ref=nosim/

【よかったらメルマガ読者登録お願いします♪】
(パソコンでアクセスしている方)