「築地や銀座で寿司を食べる」というのは、社会人になった時の憧れでした。

1人前が数万円はするお寿司を食べる」というのは、「俺もそういう身分にようやく成れたのか」という優越感や満足感を感じるからです。


「味覚音痴」と「通(つう)」には言われてしまうかもですが、大人になって、いわゆる高級お寿司屋さんで握り寿司を食べた感想は、「気分は優雅になれたけど、味は、回転ずしと変わらないなぁ、しかも、気軽に食べたいだけ食べられるし」と正直思いました。


あと、致命的な問題が。。。

私は、決して潔癖症ではないし、キャンプなど屋外で食べる料理も抵抗はほとんどありません。

しかし、大将の顔が見えるカウンターで、大将が素手で握った寿司より、回転ずし屋の大将が、薄手のビニール手袋をして握ったシャリのほうが、気分的に美味しく感じるのです。


大将が、いかにも職人っぽい清潔感あふれる方ならいいのですが、ひげずらで、なんとなく、この方の握った寿司は食べたくないなぁ、という大将を目の前にすると、どうも、箸がすすみません。


あと、食材の問題もあります。

私は、肉も魚も大好きなのですが、いわゆる高級魚よりも、青魚やイカ、タコ、あるいは、江戸前寿司にはないような、マヨネーズやチーズを使ったいわゆる「創作寿司」も大好きなのです。

カウンターで握ってもらう高級すし店には、まず、こうした回転ずしメニューの創作寿司はありません。

したがって、仕事やたまに見栄を張って「高級な雰囲気を味わうため」に食べに行く場合を除いて、ふつうに「お寿司を楽しむ」場合は、回転ずしが私には性に合っています。


「回転ずしによくある創作寿司メニュー」=「寿司好きにとっては邪道」と考える人も多く、私が、回転ずしで創作系寿司を喜んで注文しているのを見ると、口には出さないまでも、一緒に食べに行った知人や友人の中には、明らかに「コイツ本当の寿司好きじゃないよな」という顔をされる方も、結構いますが、酢めしとマヨネーズの組み合わせって、結構合うし、基本的に「海苔巻き」好きなので、軍艦にぎりやとろたくなどの細巻きを注文する比率が高くなるのもしょうがないです(笑)


先日、夕方のニュースで、「最近の回転寿司店から、しょうゆ皿が消えている」というニュースをやっていました。

理由としては、洗い物が減らせる(効率面や環境面)、しょうゆボトルを倒しても中身がこぼれず、お寿司にしょうゆを掛けるタイプのオリジナルボトルが増えている、という理由のようです。


確かに、都内でふらっと、56皿つまんで小腹を満たすか、と回転寿司店に入ると、しょうゆ皿が無いお店が結構あります。

個人的には、こういうお店では、2皿注文して、1皿にお寿司を移して、空いた寿司皿にしょうゆを入れて食べるので、しょうゆ専用皿がなくても問題なしです。

実際、ガリだって「ガリ専用皿」はなく、寿司皿やしょうゆ皿を兼用していますからね。


少し前に、古い友人と紹介された銀座の高級すし店に行ったら、最近はやりの「醤油をつけないタイプのにぎりずし」でした。

要は、酢めしに味が付いているんですよね。


口語(こうご)の日本語がどんどん変化して、おそらく100年前に生きていた日本人が現代社会に飛び込んだら、日常会話の50%も理解できないのではないだろうか。

それと同じように、寿司をはじめ、100年前にもあった食べもの屋さんに100年前に日本人が入ったら、その変化に戸惑うことは必至なんでしょうね。



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