ある学習塾のパンフレットを見ていたら、(以下引用)

現代の教育現場では、なぜだろうと思う事よりも答えを教えることを優先し、教える側も教わる側も知らず知らずのうちに楽をして、「なぜだろう?」と立ち止まることをやめてしまいました。

「なぜだろう?」をやめてしまった子に、未知のものに取り組む力は絶対に備わりません。応用力の高い子と低い子の差は「地頭の良さ」と呼ばれていますが、これは「なぜだろう?」「なぜなら?」を積み重ねてきた量の差です。」

と記載されていました。


このパンフレットでは、「なぜだろうと思うことよりも答えを教えることを優先したのは、教える側も教わる側も知らず知らずのうちに楽をして」と主張されていますが、そういった観点はわたしも否定できないと思います。


たとえば、ある企業経営者は、

「うちの技術は先輩の仕事を見て、やってみて、からだで覚えるもので、手順になんかできない」と言い切っている方がいましたが、「なぜこうするとそうなるのか」を後輩に質問されても、感覚的かる経験則で身に付けた実戦の技術であり、言葉や文字を駆使して、論理的にわかりやすく伝えることが難しいから「見てやってみて、からだで覚えるもの」といった方が楽なわけです。


また、別の企業経営者は、「「なぜだろう」と考える暇があったら、手を動かして作業させた方がよっぽど業務効率がいい、だから、とにかく手を動かせる、余計なことは考えさせない、考えさせるとミスが増える」と言い切っていました。

作業する側も「なぜだろう」を追及している間に、ノルマの作業は遅れるし、ミスをしたら「余計なオリジナリティを出そうとするからミスするんだ」といわれるぐらいなら、「考えることを止めて、言われたとおりに作業をする」ことの方が、作業は、早いし、ミスしても「こうやれ」といった側に責任転嫁できるので楽→「なぜだろう」と考えることを止める、となるのだと思います。


「ものごとを論理的に考えること」

「相手に分かりやすく伝えること」

の2つを合わせて、一般的にはロジカルシンキングと呼びます。


欧米の小学校ではロジカルシンキングが初等教育の中に織り込まれているそうです。

日本では、

「子供は素直であること」

「疑問を持たずにまずは知識を増やすこと」

がおとなたちからは「いい子」であり「子供教育に必要なこと」と思われている気がします。

実際、理屈っぽいこどもは「こましゃくれている」「屁理屈を言う前にまずは知識を増やせ」といわれ、下手をすると教師やコーチなど指導者から扱いにくい疎まれる子として捉えられてしまうでしょう。


もちろん、「素直に一度受け止めること」「論理的に考えるための元となる知識を増やすこと」は、大事です。

しかし、指導者が「ロジカルシンキングスキル」を持たないと、生徒や部下には「とにかくやれ」となり、いざや咄嗟の判断力が身につかなくなると思います。


このサイクルは、どこかで破らないと変わりません。

やはり、指導者といわれる層が、ロジカルシンキングの重要性を理解して、生徒や部下の指導に「なぜだろう?」と考える時間と「それに対してわかりやすく伝える技術」を身に付けて指導していくしかないといえるでしょう。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ437号より)


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