つくづく、物事とは「絶対にこの方が良い」と決め付けられないものだなぁ、と思う。
月並みな例えであるが、たとえば、「電力供給」。
「原子力発電推進派」は、「こんなにも効率に電気を作れる方式はない」と「環境に優しいエネルギーだ」という。
しかし、「3.11」でわたしたちが経験してしまったように、事故が起きると、その影響は何十年にもおよんでしまい、そういう点では、「非常に環境に悪影響を与えるエネルギー」といえる。
また、「火力発電と原子力発電」について、「二酸化炭素排出量」といった点のみで議論すれば、どちらも化石燃料は使用するが「原子力発電」の方が、二酸化炭素の排出は少ないことになっている。
しかし、それは、火力発電所と原子力発電所という「インフラ」がすでにあり、「電力供給するための運転のみ」に関する議論であって、「建設から運転、最終的な設備解体やそれらの過程で生じる廃棄物処理」というライフサイクル全体で考えれば、必ずしも「原子力の方が二酸化炭素排出は少ない」とは言い切れない。
車に関しても「電気自動車やハイブリットカー」は、燃費がよく「エコカー」と呼ばれ「環境に優しい」といわれている。
しかし、「既存の車をエコカーに買い替える」ことと「乗り慣れた車を適切にメンテナンスして乗り続ける(例:20年50万キロ走る)」ことのどちらが「環境に良いのか?」とは、なかなか一概に決められるものではない。
例えば、「水を飲む」という行為について「紙コップを使って飲む」と「湯呑茶碗を使って飲む」であれば、一般的には、後者の方が「環境に優しい」といわれる。
前者は、「紙コップが常に消費され使い捨てられ燃やされる」のに対し後者は「洗えば何度でも使える」からだ。
しかし、「場所」によっては、砂漠地帯のように「水が非常に貴重」であったり、「浄化設備がない」場所であれば、「洗浄用洗剤を排水すること」は環境に悪影響なケースもあり、この議論も、必ずしも「紙コップで水を飲む」が環境に配慮している方式、とは言い切れない。
人は、何かをするときに、マニュアル化して「こういうときはこうしておくべき」とパターン化したがる。
確かに、多くのことが、それでOKなときは、効率よく(首尾よく)ことを進めるにあたっては、良い。
しかし、ケースバイケースでものごとを捉え考える習慣をつけていないと、間違った判断をすることになるのである。
(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ443号より)
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