20159月に番組終了の報道がされたバラエティ番組「ヨルタモリ」の中で、タモリさんが、「お疲れ様ですというのは元来、目上の者が目下の者に使う言葉」

と発言した。

このことが、ニュースやネットの世界で物議を醸している。


言語に関する識者やいろいろな人の意見を見ていると、日本には、そもそも、

「目下のものが目上の人をねぎらう」

という慣習がないそうだ。

つまり「ねぎらいの言葉」は、「目上のものが目下に使うもの」であり、「目下のものが目上の者をねぎらう」という慣習がないから、同時に、適当な言葉もないそうなのだ。


ただ、結論から言えば、日本人の「上下関係」に対する感覚や考え方は、昔に比べてずいぶん変化したと思う。

リアルタイムで実感しているわけではないが、例えば「父親の存在」というのは、おそらく明治時代であれば、まさに「家長」であり、「大黒柱」であり、家族観において絶対的な存在だったのだろう。

しかし、今では「友達親子」という言葉があるように、親子関係も決して上下で成り立っていない。


また、ビジネスの世界にいても、高度経済成長期ぐらいまでは、年功序列の企業組織が多かったわけで、年齢的な目上の人は仕事上でも目上であることが普通であっただろう。

しかし、現代社会は「プライベートと仕事」をきっちり区分けする習慣が昔に比べ形成されていると思われ、「年齢的には年下でも、仕事上は上司」という状況はよくある話であり、加えて、「仕事とプライベート」をきっちり分ける価値観も形成されており、その場合は、「仕事上では年齢的には目下の上司でも、プライベートでは、人生の先輩として目上として扱う」というケースもあり、要は、昔に比べて「友達感覚の付き合い」が一般化している。


したがって、昔は、

「目下が目上をねぎらう習慣がなく、すなわち、言葉存在しなかった」

ということになるが、現代社会においては、

「目下が目上を労うことは仲間(友達)としてあたり前」

であるから、やはり、言葉が必要であろう。


個人的には、「お疲れ様です」を「目下が目上を労う言葉」として推したいが、いい方やシチュエーションに心がこもっていれば「ご苦労様です」でもいいと思う。

わたしは、独立して仕事をするようになってから、年上の(要は目上の)同業者とプロジェクトを組んで共同で仕事をすることがあり、年上の同業者が、骨を折った仕事などについて「ねぎらいの言葉をかけたくなる状況」はよくある話で、やはり、そういうときは「お疲れ様でした」を使わざるを得ない。


話は少しそれますが、類似する話として「お手並み拝見」がある。

これは、目上のものが、目下や格下のものに「どうだ、お前の腕を見せてみろ」という、ちょっと冷ややかに相手の出来を観察するときに使う言葉である。

したがって、目下のものから「先輩のお手並みを拝見したいです」と敬語調で言われても、内心では「失礼なやっちゃな」と苦笑してしまう。

まぁ、いいたいことはわかるから、真に怒りはしないが、「先輩の腕の見せ所ですね」とでも言っていただければ、カドは立たない。

でも、「お手並み拝見」も、そのうち、目下が目上の技量について「注目して勉強させていただきます」という意図で、「失礼ではない言葉の使い方」になる日もそう遠くないのではないかと思う。


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