日本人と西洋人の違いを表すこととしてよく言われるのが、

「西洋人は合理的な考え方をするが日本人は情緒的なものの見方をする」

ということだ。

実際は、そうでない日本人も西洋人もいると思うので、すべての人に当てはまるわけではないが、そういわれると、そういう気もするなぁ、と多くの人が思うのであろう。


これも、以前、飲料メーカーに勤務する方と雑談していて出た時の話題なので、ちゃんと検証していないが、仮に事実であるならば、おもしろい話を聞いた。

それは、「ビンとペットボトル」である。


ビンの容器は、「ビンビール」に代表されるように、洗浄して、繰り返し使用される容器として日本人にも認知されている。

私が幼少のころは、「牛乳」は「新聞のように朝配達されるもの」という家庭が多かったと思うが、当時、我が家に配達されていた牛乳は1リットル容器のビンであった。

要は、ビールやジュースなど飲料に使用される「ビン」は、「回収されてまた利用される」ということに対して、抵抗がない。


ただ、このシステムが「ペットボトル」にはない。

しかし、その方の話によると、欧米では「ペットボトルの再利用」はあるというのだ。

確かに、ペットボトルを回収して洗浄して使用すれば、エコにもよい。

では、なぜ、日本ではそうならないかといえば、そこには、日本人の情緒性というか、感覚により、「抵抗感」があり、発達しないのだ。


要は、多くの日本人は「ビンの洗浄後の再利用はあり」と考えるが「ペットボトルの洗浄後の再利用はなし」と考えるからだ。

ものごとを合理的に捉える西洋人であれば、「ちゃんと薬液を使用して洗浄すれば、衛生的な問題はないし、エコにも役立つ」と考える。

しかし、日本人は「ペットボトルを洗浄すれば、衛生的には問題ないのかもしれないけど、人が一度飲んだペットボトルを使うのは、なんとなく嫌だ」と考えるから、ペットボトルの回収再利用システムをつくっても、モノが売れないというのだ。


そういわれればそうで、ペットボトルを洗浄すれば、衛生的には、まったく問題なくても、使用や回収、洗浄の過程で、ペットボトルに傷がつき、劣化して、バージンのペットボトルより透明度がくすんでいれば、おそらく、メーカーにクレームがバンバン入るだろうし、おそらく、紙パック製品の飲料など別のものに消費行動は移るに違いない。


話は変わって、「お風呂」に対する概念も、西洋人は「からだに付着した汚れを落とすため」⇒「シャワーで洗い流せばよい」⇒「日本人のように湯船につかるのは、時間がもったいない」と合理的に考える。

しかし、日本人の場合は、温かいお風呂につかれば「極楽じゃ極楽じゃ」と考えるように「単にからだの汚れを洗い流す場」ではなく「癒しの空間」として情緒的に捉える。


最近の研究では、日本人は、西洋人と比較して、平均睡眠時間が1時間ほど少ないらしい。

しかし、これを補っている秘密のひとつに「お風呂」があるという報告があるらしい。

つまり、お風呂に入ることで、血行促進となり、深い眠りにつくことができるため、西洋人より睡眠時間が短くても、大丈夫なのだ。

つまり、急がば回れではないが、「お風呂につかる」という行為は、「汚れを落とという風呂に入る目的の意味では無駄な時間」かもしれないが「トータルで考えると無駄ではない」と考えられるのだ。


オチのない話で恐縮ですが、この睡眠の例ではないが「一見すると合理的に映ること」も、実は「合理的でない」ということもあるというのは、なんだかおもしろい、と思う。

(※ 自分を変える“気づき”ロジカル・シンキングのススメ メルマガ418号より)


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